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貞観政要 2000年01月 発行

巻第十 論行幸第三十六

第一章

貞観の初、太宗、侍臣に謂ひて曰く、隋の煬帝、広く宮室を造り、以て行幸を肆にす。西京より東京に至るまで、離宮別館、道次に相望む。則ち并州・*たく郡(たくぐん)に至るまで、悉く然らざるは無し。馳道は皆広さ数百歩、樹を種ゑ以て其の傍を飾る。人力、堪へず、相聚まりて賊を為す。末年に至るに逮びて、尺土一人も、復た己が有に非ず。此を以て之を観れば、宮室を広くし、行幸を好むは、竟に何の益か有らん。此れ皆朕が耳に聞き目に見る所なり。深く以て自ら誡む。故に敢て軽々しく人力を用ひず。惟だ百姓をして安静にして、怨叛有ること無からしむるのみ、と。〔▽七五一頁〕

第二章

貞観十一年、太宗、洛陽宮に幸し、舟を積翠池に泛べ、顧みて侍臣に謂ひて曰く、此の宮観臺沼は、竝びに煬帝の為る所。生人を駆役し、此の雕麗を窮む。復た此の一都を守り、万人を以て慮と為す能はず。行幸を好みて息まざるは、人の堪へざる所なり。昔、詩人云く、何の年か行かざらん、何の草か黄ならざらん。大東小東、杼軸其れ空し、と。正に此を謂ふなり。遂に天下をして怨み叛かしめ、身死し国滅ぶ。〔▽七五二-三頁〕
今其の宮苑、尽く我が有と為る。隋氏の傾覆せるは、豈に惟だ其の君の無道なるのみならんや。亦、股肱に良臣無きに由る。宇文述・虞世基・裴蘊の徒の如き、高官に居り、厚禄を食み、人の委任を受け、惟だ諂佞を行ひ、聡明を蔽塞す。其の君をして危き無からしめんと欲するも、理、得可からざるなり、と。〔▽七五三-四頁〕
司空長孫無忌、奏言すらく、隋氏の亡ぶる、其の君は則ち*忠とう(ちゅうとう)の言を杜塞し、臣は則ち苟くも自ら全くせんと欲す。左右、過有るも、初より糾挙せず。冦盗滋蔓するも、亦、実陳せず。此に拠れば、即ち惟だに天道のみならず、実に君臣相匡弼せざるに由る、と。太宗曰く、朕、卿等と、其の余弊を承く。惟だ須く道を弘め風を移し、万代をして永く頼らしむべし、と。〔▽七五四頁〕

第三章

貞観十三年、太宗、魏徴等に謂ひて曰く、隋の煬帝は、文帝の余業を承け、海内殷阜なり。若し能く常に関中に拠らば、豈に傾敗有らんや。遂に百姓を顧みず、行幸すること期無く、径に江都に往き、董純・崔民象等の諌争を納れず。身戮せられて国滅び、天下の笑と為る。復た帝祚の長短は、委ぬるに玄天を以てすと雖も、而も善に福し淫に禍するは、亦、人事に由る。〔▽七五五頁〕
朕毎に之を思う。若し君臣長久に、国に危敗無からんことを欲せば、君に違失有らば、臣須く極言すべし。朕、卿等の規諌を聞かば、縦ひ当時即ち従ふ能はずとも、再三思審し、必ず善を択びて用ひん、と。〔▽七五六頁〕