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貞観政要 2000年01月 発行

巻第九 議征伐第三十四

第一章

武徳九年、冬、突厥の頡利、突利二可汗、其の衆二十万を以て、渭水の便橋の北に至る。酋帥執失思力を遣はし、入朝して覘ふを為さしめ、自ら形勢を張りて云はしむ、二可汗、兵百万を総べて、今已に至れり、と。乃ち反命を請ふ。〔▽六八五頁〕
太宗謂ひて曰く、我、突厥と面のあたり自ら和親せり。汝は則ち之に背く。我は愧づる所無し。何ぞ輒ち兵を将ゐて我が畿県に入り、自ら疆盛を誇るや。我当に先ふ爾を戮すべし、と。思力懼れて命を請ふ。*蕭う(しょうう)・封徳彝、礼して之を遣らんと請ふ。太宗曰く、然らず。今若し奉還せば、必ず我懼ると謂はん、と。乃ち之を囚へしむ。〔▽六八六頁〕
太宗曰く、頡利、我が国家新たに内難有り、朕又、初めて位に即くを聞く。所以に其の兵衆を率ゐて、直に此に至る。乃ち我敢て之を拒がじと謂ふ。朕若し門を閉ぢて自ら守らば、虜必ず兵を縦ちて大いに掠めん。彊弱の勢、今の一策に在り。朕将に独り出でて以て之を軽んずるを示し、且つ軍容を耀かして、必ず戦ふを知らしめんとす。事、不意に出で、其の本図に乖かん。匈奴を制服せんこと、茲の挙に在り、と。遂に単馬にして進み、津を隔てて与に語る。頡利、能く測る莫し。俄にして六軍継ぎて至る。頡利、軍容の大いに盛んなるを見、又、思力が拘に就くを知る。是に由りて大いに懼れ、盟を請ひて退く。〔▽六八六-七頁〕

第二章

太宗の帝範に曰く、夫れ兵甲は、国の凶器なり。土地、広しと雖も、戦を好めば則ち人凋す。邦境、安しと雖も、戦を忘るれば則ち人殆し。凋は保全の術に非ず、殆は擬冦の方に非ず。以て全く除く可からず、以て常に用ふ可からず。故に農隙に武を講ずるは、威儀を習ふなり。三年に治兵するは、等列を弁ずるなり。是を以て、勾践、蛙に軾して、卒に覇業を成す。徐偃、武を棄てて、終に以て邦を喪ふ。何となれば則ち、越は其の威儀を習へばなり。徐は其の備を忘るればなり。孔子曰く、教へざるの人もて戦ふは、是れ之を棄つと謂ふ、と。故に知る、弧矢もて威を立つるは、以て天下を利するを。此れ兵を用ふるの機なり、と。〔▽六八八頁〕

第三章

貞観の初、嶺南の諸州奏言す、高州の酋帥、*馮おう(ふうおう)・談殿、兵を阻みて反叛す、と。将軍藺暮に詔して、江嶺数十州の兵を発して之を討たしむ。秘書監魏徴諌めて曰く、中国初めて定まり、創痍未だ復せず。嶺表は瘴癘あり、山川阻深なり。兵運、継ぎ難く、疾疫或は起らん。若し意の如くならずんば、悔ゆとも追ふ可からず。且つ*馮おう(ふうおう)若し反せば、即ち須く中国の未だ寧からざるに及びて、遠人を交結し、険要を分断し、州県を破掠し、官司を署置すべし。何に由つて告げ来ること数年なるに、兵、境を出でざるや。此れ則ち反形未だ成らず、衆を動かす容き無し。陛下既に未だ使人を遣はして、彼に就きて観察せず。即し来りて朝謁すとも、明かにせられざらんことを恐る。今若し使を遣はして、分明に暁諭せば、必ず師旅を労せず、自ら闕庭に致さん、と。太宗、之に従ふ。嶺表悉く定まる。〔▽六九〇頁〕
侍臣奏言すらく、*馮おう(ふうおう)・談殿、往年恒に相征伐し、当時、議する者、屡々之を討たんことを請ふ。陛下、一単使を発して、嶺表をして帖然たらしむ、と。太宗曰く、初め嶺南の諸州、盛んに*おう反(おうはん)す、と言ふ。朕、必ず之を討ぜんと欲す。魏徴頻に諌め、以て不可と為す。但だ之を懐くるに徳を以てせば、必ず討ぜずして自ら来らん、と。既に其の計に従ひ、遂に嶺表無事なるを得たり。労せずして定まれるは、十万の師よりも勝れり、と。乃ち徴に絹五百匹を賜ふ。〔▽六九一-二頁〕
徴辞して曰く、陛下、徳化の被むる所、八表安寧なり。臣豈に敢て天の功を貪り、以て己の力と為さんや、と。太宗曰く、臣に善有らば須く顕揚すべし。正に此の如くならしむ、と。杜如晦曰く、陛下聖明なり。故に功を推し善を下に帰す。前代の王者、皆以て難しと為す、と。〔▽六九二-三頁〕

第四章

貞観四年、有司上言すらく、林邑国の蛮、表疏、順ならず。請ふ兵を発して之を討撃せん、と。太宗曰く、兵は凶器なり。已むを得ずして之を用ふ。故に光武曰く、一たび兵を発する毎に、覚えず頭鬢、白と為る、と。古より已来、兵を窮め武を極めて、未だ亡びざる者は有らざるなり。苻堅は自ら兵の彊きを恃み、必ず晋室を呑まんと欲し、兵を興すこと百万、一挙にして亡べり。隋主も亦必ず高麗を取らんと欲し、頻年労役し、人、怨に勝へず。遂に匹夫の手に死せり。頡利の如きに至りては、往歳数々来りて我が国家を侵し、部落、征役に疲れ、遂に滅亡に至れり。〔▽六九三-四頁〕
朕、今、親しく此を見る。豈に輒く即ち兵を発するを得んや。山険を経歴し、土に瘴癘多し。若し我が兵士疾疫せば、此の蛮を剋翦すと雖も、亦何の補ふ所かあらん。言語の間、何ぞ意に介するに足らんや、と。竟に之を討たず。〔▽六九五頁〕

第五章

貞観五年、康国、帰附せんことを請ふ。太宗、侍臣に謂ひて曰く、前代の帝王、大いに土地を広むるを務め、以て身後の虚名を求めんとするもの有り。身に益無く、其の人甚だ困む。仮令、身に於て益有りとも、百姓に於て損有らば、朕、必ず為さず。況んや虚名を求めて百姓を損ずるをや。康国既に来りて朝に帰せば、急難有らば、救はざるを得ず。兵行万理、豈に労無きを得んや。人を労して名を求むるが若きは、朕が欲する所に非ず。帰附を請ふは、納るるを須ひざるなり、と。〔▽六九五-六頁〕

第六章

貞観十四年、兵部尚書侯君集、以て高昌を伐つ。師、柳谷に次るに及びて、候騎言ふ、高昌王麹文泰死す。日に剋して将に葬らんとす。国人咸く集まる。二千の軽騎を以て之を襲はば、尽く得可きなり、と。副将薛万均・姜行本、皆、以て然りと為す。君集曰く、天子、高昌の驕慢なるを以て、吾をして恭しく天誅を行はしむ。乃ち墟墓の間に於て、掩ひて以て其の葬を襲ふは、武と称するに足らず。此れ罪を問ふの師に非ざるなり、と。遂に兵を按じて以て葬の畢るを待ち、然る後軍を進め、其の国を平ぐ。〔▽六九七頁〕

第七章

貞観十六年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、北狄代々冦乱を為す。今、延陀屈彊なり。須く早く之が計を為すべし。朕、熟々之を思ふに、惟だ二策有り。徒十万を選び、撃ちて之を虜にし、凶醜を滌除せば、百年無事ならん。此れ一策なり。若し其の来り請ふを遂げなば、之と姻媾せん。朕は蒼生の父母為り。苟に之を利す可くんば、豈に一女を惜まんや。北狄の風俗は、多く内政に由る。亦既に子を生まば、則ち我が外孫なり。中国を侵さざらんこと、断じて知る可し。此を以てして言へば、辺境、三十年来無事なるを得るに足らん。此の二策を挙ぐるに、何者をか先と為さん、と。〔▽六九八-九頁〕
司空房玄齢対へて曰く、隋室の大乱の後に遭ひ、戸口太半未だ復せず。兵は凶にして戦は危く、聖人の慎む所なり。和親の策、実に天下の幸甚なり、と。〔▽六九九-七〇〇頁〕

第八章

貞観十七年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、蓋蘇文、其の主を殺して、其の国政を奪ふ。誠に忍ぶ可からず。今日、国家の兵力、之を取ること難からず。朕未だ即ち兵衆を動かす能はず。且く契丹・靺鞨をして之を撹擾せしめば、何如、と。〔▽七〇〇頁〕
房玄齢対へて曰く、臣、古の列国を観るに、彊を以て弱を陵ぎ、衆もて寡を暴せざるは無し。今、陛下、蒼生を撫養し、将士勇鋭なり。力、余有れども之を取らず。所謂、戈を止むるを武と為す者なり。昔、漢の武帝、屡々匈奴を伐ち、隋の後主、三たび遼左を征す。人貧しく国敗るるは、実に此に之れ由る。惟だ陛下詳察せよ、と。太宗曰く、善し、と。〔▽七〇一頁〕

第九章

貞観十八年、太宗、高麗の莫離支、其の主を賊殺し、其の下を残虐せるを以て、議して将に之を討たんとす。諌議大夫*ちょ遂良(ちょすいりょう)進みて曰く、陛下の兵機神算は、人、能く知るもの莫し。昔、隋末の乱離のとき、冦難を克平せり。北狄、辺を侵し、西蕃、礼を失ふに及びてや、陛下、将に命じて之を撃たんと欲す。群臣、苦諌せざるは莫し。唯だ陛下、明略独断し、卒に竝びに誅夷せり。〔▽七〇二頁〕
今、陛下将に高麗を伐たんとすと聞き、意皆*けい惑(けいわく)す。然れども陛下の神武英声は、周隋の主に比せず。兵若し遼を渡らば、事須く剋捷すべし。万一、獲ざれば、威を以て遠方に示す無く、必ず更に怒を発し、再び兵衆を動かさん。若し此に至らば、安危、測り難からん、と。太宗、之を然りとす。〔▽七〇三頁〕

第十章

貞観十八年、太宗、親ら高麗を征せんとす。開府儀同三司尉遅敬徳奏言すらく、車駕若し自ら遼左に往かば、皇太子、又国を定州に監せん。東西の二京、府庫の在る所、鎮守有りと雖も、終に是れ空虚ならん。遼東は路遥なり。玄感の変有らんことを恐る。且つ辺隅の小国、親ら万乗を労するに足らず。若し克勝すとも、武と為すに足らず。儻し勝たずんば、翻つて毀す所と為らん。伏して請ふ、之を良将に委ねんことを。自ら応時に摧滅す可し、と。太宗、其の議に従はずと雖も、識者、之を是とす。〔▽七〇四頁〕

第十一章

礼部尚書江夏王道宗、太宗に従ひて高麗を征す。道宗に詔し、李勣と与に前鋒と為す。遼水を済り、蓋牟城に剋つに及びて、賊兵の大いに至るに逢ふ。軍中、僉、溝を深くし険を保ち、太宗の至るを待ちて徐ろに進まんと欲す。道宗議して曰く、不可なり。賊、急に赴き遠く来り、兵実に疲頓す。衆を恃みて我を軽んず。一戦して摧く可し。昔、*耿かん(こうかん)、賊を以て君父を遺さず。我既に職、全軍に在り。当に須く道を清めて以て輿駕を待つべし、と。〔▽七〇五頁〕
李勣大いに其の議を然りとす。乃ち驍勇数百騎を率ゐ、直ちに賊陣を衝き、左右に出入す。勣因つて合撃し、大いに之を破る。太宗至り、深く賞労を加ふ。道宗、陣に在りて足を損ず。帝親ら其の為めに針し、賜ふに御膳を以てす。〔▽七〇六頁〕

第十二章

貞観二十二年、太宗、将に重ねて高麗を討たんとす。是の時、房玄齢、疾に寝ね増々劇し。顧みて諸子に謂ひて曰く、当今、天下静謐にして咸く其の宜しきを得たり。唯々東のかた高麗を討たんと欲するは、停めずんば方に国の害と為らん。吾、知りて言はざるは、恨を銜みて地に入ると謂ふ可し、と。遂に上表して諌めて曰く、臣聞く、兵は*おさ(おさ)めざるを悪み、武は戈を止むるを貴ぶ。当今、聖化の覃ぶ所、遠しとて*およ(およ)ばざるは無し。上古の臣とせざる所の者、陛下皆能く之を臣とし、制せざる所の者、皆能く之を制す。〔▽七〇七頁〕
詳かに古今を観るに、中国の患害を為すは、突厥に過ぎたるは無し。遂に能く坐に神策を運らし、殿堂を下らずして、大小の可汗、相次ぎて手を束ね、分ちて禁衛を典り、戟を行間に執る。其の後、延陀鴟張するも、尋いで夷滅に就く。鉄勒、義を慕ひ、州県を置かんと請ふ。沙漠已北、万里、塵無し。高昌が流沙に叛換し、吐渾が積石に首鼠するが如きに至りては、偏師薄か伐ち、倶に平蕩に従ふ。〔▽七〇八頁〕
高麗は、歴代、誅を逋れ、能く討撃する莫し。陛下、其の逆乱にして主を殺し人を虐するを責め、親ら六軍を総べ、罪を遼碣に問ふ。未だ旬日を経ざるに、即ち遼東を抜く。前後の虜獲、数十万計、諸州に分配し、処として満たざるは無し。往代の宿恥を雪ぎ、*こう陵(こうりょう)の枯骨を掩ふ。功を比べ徳を校ぶるに、前王に万倍す。此れ聖主の自ら知る所なり。微臣安んぞ敢て備に説かん。〔▽七〇九頁〕
且つ陛下、仁風、率土に被り、好徳、配天に彰る。夷狄の将に亡びんとするを覩れば、則ち期を数歳に指し、将帥の節度を授くれば、則ち機を万里に決す。指を屈して駅を候ひ、景を視て書を望む。符応すること神の若く、算に遺策無し。将を行伍の中に擢で、士を凡庸の末に取る。遠夷の単使も、一見すれば忘れず、小臣の名も、未だ嘗て再び問はず。箭は七札を穿ち、弓は六鈞を貫く。加ふるに情を墳典に留め、意を篇什に属し、筆は鍾張に邁ぎ、詞は曹馬を窮むるを以てす。文鋒既に振へば、則ち宮徴自ら諧ひ、軽翰暫く飛べば、則ち*花い(かい)競ひ発く。〔▽七一〇頁〕
万姓を撫するに慈を以てし、群臣を遇するに礼有り。秋毫の善を褒し、呑舟の網を解く。逆耳の諌必ず聞き、膚受の愬斯に絶つ。生を好むの徳、障塞を江湖に禁じ、殺を悪むの仁、鼓刀を屠肆に息む。鳧鶴も稲粱の恵を荷ひ、犬馬も帷蓋の恩を蒙る。乗を降りて思摩の瘡を吮ひ、堂に登りて魏徴の柩に臨す。戦亡の卒を哭すれば、則ち哀、六軍を慟せしめ、填道の薪を負へば、則ち精、天地を感ぜしむ。黔黎の大命を重んじ、特に心を庶獄に尽くす。臣、心識昏なり。豈に聖功の深遠を論じ、天徳の高大を談ずるに足らんや。〔▽七一一-二頁〕
陛下、衆美を兼ねて之を有し、備具せざるは靡し。微臣深く陛下の為めに之を惜み之を重んじ、之を愛し之を宝とす。周易に曰く、進むことを知つて退くことを知らず、存することを知つて亡ぶることを知らず、得ることを知つて喪ふことを知らず。其れ聖人か、と。又曰く、進退存亡を知つて、其の正を失はざる者は、其れ惟だ聖人か、と。此に由りて之を言へば、進に退の義有り、存は是れ亡の機、得は是れ喪の理なり。老臣、陛下の為めに之を惜む所以の者は、蓋し此を謂ふなり。老子曰く、足るを知れば辱しめられず、止まるを知れば殆からず、と。〔▽七一三頁〕
臣謂へらく、陛下、威名功徳、亦、足る可し。地を拓き疆を開くこと、亦、止まる可し。彼の高麗は、辺夷の賎類なり。待するに仁義を以てするに足らず、責むるに常礼を以てす可からず。古来、魚鼈を以て之を畜ふ、宜しく闊略に従ふべし。若し必ず其の種類を絶たんと欲せば、深く恐る獣窮すれば則ち搏たんことを。〔▽七一四頁〕
且つ陛下、死囚を決する毎に、必ず三覆五奏を命じ、素食を進め、音楽を停むる者は、蓋し人命の重き所にして、聖慈を感動するを以てなり。況んや今、兵士の徒は、一の罪戻無し。故無くして之を行陣の間に駆り、之を鋒刃の下に委し、肝脳をして地に塗れ、魂魄をして帰する無からしめ、其の老父・孤兒・寡妻・慈母をして、*えい車(えいしゃ)を望みて泣を掩ひ、枯骨を抱きて心を摧かしむ。以て陰陽を変動し、和気を感傷するに足る。実に天下の冤痛なり。〔▽七一四-五頁〕
且つ兵は凶器なり。戦は危事なり。已を得ずして之を用ふ。向使、高麗、臣節を違失せば、陛下之を誅して可なり。百姓を侵擾せば、陛下之を滅ぼして可なり。長久に能く中国の患を為さば、陛下之を降して可なり。此に一有らば、日に万夫を殺すと雖も、*はぢ(はじ)と為すに足らず。今、此の三條無きに、坐中国を煩はし、内は旧王の為めに怨を雪ぎ、外は新羅の為めに讎を報ゆ。豈に存する所の者小にして、損ずる所の者大なるに非ずや。〔▽七一五-六頁〕
願はくは陛下、皇祖老子の止足の誡に遵ひ、以て万代巍巍の名を保ち、霈然の恩を発し、寛大の詔を降し、陽春に順ひて以て沢を布き、高麗に許すに自ら新たにするを以てし、凌波の船を焚き、応募の衆を罷めんことを。自然に華夷慶頼し、遠きは粛し迩きは安からん。〔▽七一七頁〕
臣、老病の三公、朝夕、地に入らん。恨む所は、竟に塵露の微の海岳を増すこと無きを。謹みて残魂余息を*つく(つく)し、預め草を結ぶの誠に代ふ。儻し此の哀鳴を録するを蒙らば、即ち臣死すとも朽ちざらん、と。太宗、表を見て歎じて曰く、此の人危篤なること此の如きに、尚ほ能く我が国家を憂ふ。真に忠臣なり、と。〔▽七一七-八頁〕

第十三章

貞観二十二年、軍旅亟々動き、宮室互に興り、百姓頗る労弊有り。充容徐氏上疏して諌めて曰く、貞観以来、二十有二載、風調ひ雨時在り、年登り歳稔り、人に水旱の弊無く、国に饑饉の災無し。昔、漢武は守文の常主なるに、猶ほ刻石の符を登す。斉桓は小国の庸君なるに、尚ほ泥金の望を図る。陛下、功を推し己を損し、徳に譲りて居らず。億兆、心を傾くるも、猶ほ告成の礼を虧く。云亭、謁を佇めども、未だ昇中の儀を展べず。此の功徳、以て百王を咀嚼し、千代を網羅するに足る者なり。然れども古人、云へる有り、休しと雖も休しとする勿れ、と。良に以有るなり。始を守り末を保つは、聖哲、兼ぬること罕なり。是に知る、業大なる者は驕り易し、願はくは陛下、之を難しとせよ。始を善くする者は、終り難し、願はくは陛下、之を易しとせよ。〔▽七一九頁〕
竊に見るに、頃年已来、力役兼ね総べ、東に遼海の軍有り、西に崑丘の役有り、士馬、甲冑に疲れ、舟車、転輸に倦めり。且つ召募の兵戎は、去留、死生の痛みを懐き、風に困しみ浪に阻み、人米、漂溺の危に有り。一夫力耕するに、年に数十の獲無く、一船、損を致せば、則ち数百の糧を傾く。猶ほ是れ尽くる有るの濃功を運し、無窮の巨浪に填め、未だ獲ざるの他の衆を図り、已に成るの我が軍を喪ふ。兇を除き暴を伐つは、国を有つの常規と雖も、然れども武を黷し兵を翫ぶは、先哲の戒むる所なり。〔▽七二一頁〕
昔、秦皇、六国を併呑し、返つて危亡の基を速き、晋武、三方を奄有し、翻つて覆敗の業を成す。豈に功に矜り大を恃み、徳を棄てて邦を軽んじ、利を図り害を忘れ、情を肆にし欲を縦にしたるに非ずや。遂に悠悠たる六合をして、曠しと雖も其の亡を救はず、嗷嗷たる黎庶をして、弊に因りて以て其の禍を成さしむ。是に知る、地広きは常安の術に非ず、人労るるは、乃ち乱れ易きの源なるを。願はくは陛下、沢を布き仁を流し、疲弊を矜恤し、行役の煩を減じ、湛露の恵を増さんことを。〔▽七二二頁〕
妾又聞く、治を為すの本は、無為に在るを貴ぶ、と。竊かに土木の功を見るに、兼ね遂ぐ可からず。北闕初めて建ち、南のかた翠微を営す。曾て未だ時を踰えざるに、玉華創制す。復た山に因り水に藉ると雖も、築架の労無きに非ず。之を損じ又損じ、頗る功力の費有り。終に茅茨を以て約を示すも、猶ほ木石の疲れを興す。仮使和雇して人を取るも、煩擾の弊無きにあらず。是を以て卑宮菲室は、明王の安んずる所、金屋瑶臺は、驕主の麗と為すなり。故に有道の君は逸を以て人を逸し、無道の君は、楽を以て身を楽む。願はくは陛下、之を使ふに時を以てせば、則ち力竭きざらん。用ふれども之を息はしめば、則ち人斯に悦ばん。〔▽七二三頁〕
夫れ珍翫伎巧は、乃ち国を喪ぼすの斧斤なり。朱玉錦繍は、寔に心を迷わすの酖毒なり。竊に見るに、服翫の繊靡なるは、自然より変化するが如く、職貢の珍奇なるは、神仙の製する所の若し。華を季俗に馳すと雖も、実に素を淳風に敗る。是に知る、漆器は叛を延くの方に非ざるも、舜、之を造りて人叛く。玉杯は豈に亡を招くの術ならんや、紂、之を用ひて国亡ぶ。方に侈麗の源を験するに、遏めざる可からず。夫れ法を倹に作すも、猶ほ其の奢らんことを恐る。法を奢に作さば、何を以て後を制せん。〔▽七二四-五頁〕
伏して惟みるに陛下、明、未形を照らし、智、無際に周く、奥秘を麟閣に窮め、*探さく(たんさく)を儒林に尽くし、千王の治乱の蹤、百代の安危の迹、興衰禍福の数、得失成敗の機、故に亦心府の中に苞呑し、目圍の内に循環す。乃ち神衷の久しく察し、一二の言を仮ること無し。惟だ恐らくは之を知ること難きに非ず、之を行ふこと易からざらんことを。志は業の泰なるに驕り、体は時の安きに逸す。伏して願はくは、志を抑へ心を裁し、終を慎み始を成し、軽過を削り以て重徳を添へ、後是を択び以て前非を替てんことを。則ち鴻名、日月と与に窮り無く、成業、乾坤と与に永く大ならん、と。上、其の言を善しとし、優賜甚だ厚し。〔▽七二六頁〕