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貞観政要 2000年01月 発行

巻第八 論貢献第三十三

第一章

貞観二年、太宗、朝集使に謂ひて曰く、土に任じて貢を作すこと、布きて前典に在り。当州の産する所、即ち庭実に充つ。比聞く、都督・刺史、声名を邀射し、厥の土の賦する所、或は其の不善を嫌ひ、境を踰えて外に求め、更に相放効し、遂に以て俗と成す、と。極めて労擾と為す。宜しく此の弊を改め、更に然るを得ざるべし、と。〔▽六七七頁〕

第二章

貞観中、林邑国、白鸚鵡を貢す。性甚だ弁恵にして、尤も応答を善くし、屡々寒に苦しむの言有り。太宗、之を愍み、其の使に付して、還りて林薮に放たしむ。〔▽六七八頁〕

第三章

貞観十三年、疎勒・朱倶波・甘棠、使を遣はして方物を貢す。太宗、群臣に謂ひて曰く、向し中国をして安からざらしめば、日南・西域の朝貢使、亦何に縁りてか至らん。朕、何の徳か以て之に堪へん。之を覩て翻つて危懼を懐く。近代、天下を平壱し、辺方を拓定せし者は、惟だ秦皇・漢武のみなり。始皇は暴虐にして、子に至りて亡べり。漢武は驕奢にして国祚幾ど絶えんとせり。〔▽六七八-九頁〕
朕、三尺の剣を提げ、以て四海を定め、遠夷率ゐ服し、億兆乂安なり。自ら謂へらく、二主に減ぜざるなり、と。然れども二主の末途を念ふに皆、自ら保つこと能はず。是に由りて毎に危亡を懼れ、敢て懈怠せず。惟だ卿等が直言正諌し、以て相匡弼するに藉る。若し惟だ美を揚げ過を隠し、共に諛言を進めば、則ち国の危亡、立ちて待つ可きなり、と。〔▽六七九-七〇頁〕

第四章

貞観十八年、太宗将に高麗を伐たんとす。其の莫離支、使を遣はして白金を貢す。黄門侍郎*ちょ遂良(ちょすいりょう)諌めて曰く、莫離支、其の主を虐殺す。九夷の容れざる所なり。陛下、之を以て兵を興し、将に弔伐を事とし、遼山の人の為めに、主辱しめらるるの恥を報いんとす。〔▽六八〇-一頁〕
古者、君を殺すの賊を討ずるに其の賂を受けず。昔、宋の督、魯君に遺るに*こう鼎(こうてい)を以てす。桓公、之を大廟に受く。臧哀伯諌めて曰く、人に君たる者は、将に徳を昭かにし違へるを塞がんとす。今、徳を滅ぼし違へるを立てて、其の賂器を大廟に*お(お)く。百官、之に象らば、又何ぞ誅めん。武王、商に剋ち、九鼎を洛邑に遷す。義士猶ほ或は之を非る。而るを況んや将に違乱の賂器を昭かにし、諸を大廟に*お(お)かんとするは、其れ之を若何せん、と。〔▽六八一頁〕
夫れ春秋の書は、百王、法を取る。若し不臣の*筐ひ(きょうひ)を受け、弑逆の朝貢を納れ、以て愆と為さずんば、何の伐を致す所あらん。臣謂ふに、莫離支が献ずる所は、自ら合に受くべからず、と。太宗、之に従ふ。〔▽六八二頁〕

第五章

貞観十九年、高麗王高蔵、及び莫離支蓋蘇文、使を遣はして二美女を献ず。太宗、其の使に謂ひて曰く、朕、此の女が其の父母兄弟に本国を離るるを憫む。其の色を愛して其の心を傷るが若きは、我、取らざるなり、と。竝びに之を還さしむ。〔▽六八三頁〕