ホーム > 資料室 > 日蓮聖人御直筆写本 > 貞観政要 > 巻第八 論赦令第三十二

資料室

貞観政要 2000年01月 発行

巻第八 論赦令第三十二

第一章

貞観七年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、天下、愚人は多く、智者は少なし。智者は敢て過を為さず、愚人は好みて憲章を犯す。凡そ赦宥の恩は、惟だ不軌の輩に及ぶ。古語に曰く、小人の幸にして、君子の不幸なり。一歳に再び赦すれば、好人暗噫す、と。凡そ*ろう莠(ろうゆう)を養ふ者は、禾稼を傷ひ、*姦き(かんき)を恵む者は、良人を賊ふ。〔▽六六三頁〕
昔、文王、罰を作り、茲を刑して赦す無し。又、蜀の先主、嘗て諸葛亮に謂ひて曰く、我、陳元方・鄭康成の間に周旋し、毎に啓告せらる。理乱の道備はれり。曾て赦を論ぜざりき、と。故に諸葛亮、蜀を理むること十年、赦せずして蜀大いに化す。梁の武帝、毎年数々赦し、卒に傾敗に至る。夫れ小仁を謀る者は、大仁の賊なり。故に我、天下を有ちて已来、絶えて赦令せず。四海安静に、礼義興り行はる。非常の恩は、弥々数々す可からず。将に愚人常に僥倖を冀ひ、惟だ法を犯さんと欲し、過を改むる能はざらんことを恐れんとす、と。〔▽六六四頁〕

第二章

貞観七年、工部尚書段綸、奏して巧工楊思斉を進む。既に至る。上、之を試みしむ。綸、傀儡の戯具を造らしむ。上、綸に謂ひて曰く、進むる所の巧工は、将に国事に供せんとす。卿、先づ此の物を造らしむ。豈に是れ百工相戒め、奇巧を作す無きの意ならんや、と。乃ち詔して綸の階級を削り、并びに此の戯を禁断す。〔▽六六五-六頁〕

第三章

貞観十年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、国家の法令は、惟々須く簡約なるべし。一罪に数種の條格を作す可からず。格式既に多ければ、官人、尽く記する能はず、更に姦詐を生ぜん。若し罪を出さんと欲せば、即ち軽條を引かん。若し罪に入れんと欲せば、即ち重條を引かん。数々法を変ずるは、実に理道に益あらず。宜しく審細にせしめて、互文にせしむる毋るべし、と。〔▽六六七頁〕

第四章

貞観十一年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、詔・令・格・式、若し常に定まらざれば、則ち人心多く惑ひ、姦詐日に益す。周易に称す、渙のとき其の大号を汗の如くす、と。号を発し令を施すこと、汗の体より出づるが若く、一たび出でて、復た入らざるを言ふなり。又、書に曰く、乃の令を出すを慎め。令出づれば惟れ行へ。惟れ反せざれ、と。且つ漢祖は、日、給するに暇あらず。蕭何、法を制するの後、猶ほ画一と称せらる。今宜しく詳かに此の義を思ふべし。軽々しく詔令を出す可からず。必ず須く審定して以て永式と為すべし、と。〔▽六六七-八頁〕

第五章

長孫皇后、疾に遇ひ、漸く危篤に至る。皇太子、后に啓して曰く、医薬備に尽くせども、今、尊体、*い(い)えず。請ふ奏して囚徒を赦し、併せて人を度して道に入れん。冀はくは福助を蒙らん、と。后曰く、死生は命有り、人力の加ふる所に非ず。若し福を修して延ばす可くんば、吾は、素、悪を為すに非ず。若し善を行ひて効無くば、何の福をか求む可き。赦は国の大事なり。仏道は、上、常に異方の教を存するを示すのみ。常に治体の弊する所と為らんことを恐る。豈に吾一婦人を以てして、天下の法を乱さんや。汝の言に依る能はざるのみ、と。〔▽六六九頁〕

第六章

貞観十一年、詔して曰く、朕聞く、死とは終なり。物の真に反らんことを欲するなり。葬とは蔵なり。人の見るを得ざらんことを欲するなり。上古、風を垂るる、未だ封樹を聞かず。後聖、範を貽し、始めて棺槨を備ふ。僭侈を譏る者は、其の厚費を愛むに非ず。倹薄を美る者は、寔に其の危き無きを貴ぶ。〔▽六七〇頁〕
是を以て、唐尭は聖帝なり。穀林には通樹の説有り。秦穆は明君なり。*たく泉(たくせん)には丘隴の処無し。仲尼は孝子なり。防墓、墳せず。延陵は慈父なり。*えい博(えいはく)、隠る可し。斯れ皆、無窮の慮を懐き、独結の明を成す。乃ち体を九泉に便にす、名に百代に徇ふ者に非ざるなり。〔▽六七一頁〕
闔閭に*およ(およ)びて、礼に違ひ、珠玉を鳧雁と為し、始皇、度無く、水銀を江海と為し、季孫、魯を擅にし、斂するに*はんよ(はんよ)を以てし、*桓たい(かんたい)、宋を専らにし、葬るに石槨を以てす。蔵多くして以て禍を速き、利有るに由りて辱を招かざるは莫し。玄盧既に発し、焚如を夜臺に致し、黄腸再び開き、暴骸を中夏に同じくす。嚢事豈に悲しからずや。斯に由りて之を観れば、奢侈する者は、以て戒めと為す可し。節倹する者は、以て師と為す可し。〔▽六七二頁〕
朕、四海の尊に居り、百王の弊を承け、未明に化を思ひ、中宵に載ち*てき(てき)す。往を送るの典は、諸を儀制に詳かにし、礼を失ふの禁は、著して刑書に在りと雖も、而も勲戚の家、多く習俗に流遁し、閭閻の内、或は侈靡にして風を傷る。厚葬を以て終に奉ずと為し、墳を高くするを以て孝を行ふと為す。遂に衣衾棺槨をして、雕刻の華を極め、*霊じ(れいじ)明器をして、金玉の飾りを窮めしむ。富者は法度を越えて以て相高くし、貧者は資産を破りて而も逮ばず。徒らに教義を傷り、泉壌に益無し。害を為すこと既に深し、宜しく懲革を為す可し。〔▽六七三-四頁〕
其れ王公より以下、爰に黎庶に及ぶまで、今より以後、送葬の具、令式に依らざる者有らば、州県の官司、明かに検察を加へしめ、状に随ひて罪を科せん。在京の五品以上、及び勲戚の家は、仍ほ録して聞奏せよ、と。〔▽六七四-五頁〕

第七章

貞観十五年、詔して曰く、朕、朝を聴くの暇、頗る前史を観、名賢の時を佐け、忠臣の国に徇ふを覧る毎に、何ぞ嘗て其の人を想見し、書を廃して欽歎せざらん。近代に至りて已来、年載、遠きに非ず。其の胤緒、或は当に見存すべし。縦ひ未だ顕かに旌擢を加ふる能はずとも、其の後裔を棄つ容き無し。其れ周隋二代の名臣、及び忠節の子孫にして、貞観已来、罪を犯して流さるる者有らば、宜しく所司をして、具に録して奏聞せしむべし、と。是に於て多く赦宥に従ふ。〔▽六七五-六頁〕