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貞観政要 2000年01月 発行

巻第八 務農第三十

第一章

貞観二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、凡そ事は皆、須く本を務むべし。国は人を以て本と為し、人は衣食を以て本と為す。衣食を営むには、時を失はざるを以て本と為す。夫れ時を失はざるは、唯だ人君の簡静に在りて、乃ち致す可きのみ。若し兵戈屡々動き、土木息まずして、而も農時を奪はざらんと欲すとも、其れ得可けんや、と。〔▽六一九頁〕
王珪曰く、昔、秦皇・漢武、外には則ち兵戈を窮極し、内には則ち宮室を崇侈す。人力既に竭きて、禍難遂に興る。彼豈に人を安んずるを欲せざらんや。其の人を安んずる所以の道を失へばなり。亡隋の轍、殷鑒、遠からず。陛下親しく其の弊を承け、之を易ふる所以を知る。然れども初に在りては則ち易く、之を終ふるは実に難し。伏して願はくは、終を慎むこと始の如くし、方に其の美を尽くさんことを、と。〔▽六二〇頁〕
太宗曰く、卿の言、是なり。其れ人を安んじ国を寧んずるは、惟だ君に在り。君無為なれば則ち人楽み、君多欲なれば則ち人苦む。朕が情を抑へ欲を損し、己に剋ち自ら励む所以なるのみ、と。〔▽六二一頁〕

第二章

貞観二年、京師大旱し、蝗虫大いに起る。太宗、苑に入りて禾を視、蝗を見、数枚を*ひろ(ひろ)ひて呪して曰く、人は穀を以て命と為す。而るに汝、之を食ふ。是れ百姓に害あり。百姓、過ち有るは、余一人に在り。爾其れ霊有らば、但だ当に我を食すべし。百姓を害ふ無かれ、と。将に之を呑まんとす。左右遽に諌めて曰く、恐らくは疾を成さん。不可なり、と。太宗曰く、冀ふ所は災を朕が躬に移さん。何ぞ疾を之れ避けん、と。遂に之を呑む。是に因りて、蝗、復た災を為さず。〔▽六二一-二頁〕

第三章

貞観四年、太宗、諸州の考使に謂ひて曰く、国は人を以て本と為し、人は食を以て命と為す。禾穀、登らざるが若きは、恐らくは朕が躬親らせざるに因るの致す所ならん。故に別院に就きて、三数畝の禾を種ゑ、時に自ら其の*てい莠(ていゆう)を鋤するに、纔かに半畝を得たるに、即ち甚だ疲乏す。此を以て之を思ふに、労、知る可きなり。農夫は実に甚だ辛苦す。〔▽六二三頁〕
頃聞く、関東及び諸処、粟は両銭半価、米は四銭価なり、と。深く慮る、無識の人、米の賎きを見て遂に農を惰りて自ら安んぜんことを。儻し水旱に遇はば、即ち飢餓を受けん。卿等、州に至るの日、毎県、時に官人を遣し、田隴の間に就きて勧励せよ。送迎有らしむるを得ず。若し送迎往還すれば、多く農業を廃す。此の若きの勧農は去るに如かず、と。〔▽六二三頁〕

第四章

貞観五年、有司上言すらく、皇太子将に冠礼を行はんとす。宜しく二月を用ふべきを吉と為す。請ふ兵を追ひて以て儀注に備へん、と。太宗曰く、今、東作方に興る。恐らくは農事を妨げん。改めて十月を用ひしめよ、と。太子少保*蕭う(しょうう)奏して言はく、陰陽家に準ずるに、二月を用ふるを勝れりと為す、と。〔▽六二四頁〕
太宗曰く、陰陽の拘忌は、朕の行はざる所なり。若し動静必ず陰陽に依り、礼義を顧みずんば、福祐を求めんと欲するも、其れ得可けんや。若し行ふ所、皆、正道に遵はば、自然に常に吉と会せん。且つ吉凶は人に在り。豈に陰陽の拘忌を仮らんや。農時は甚だ要なり。暫くも失ふ可からず、と。〔▽六二五頁〕

第五章

貞観五年、太宗、天下の粟価、率ね計るに斗に直五銭、其の尤も賎き処は、斗に直両銭なるを以て、因りて侍臣に謂ひて曰く、国は人を以て本と為し、人は食を以て命と為す。若し禾穀、登らずんば、則ち兆庶、国家の有する所に非ざらん。朕、億兆の父母と為り、既に豊稔に属すること斯の若し。安んぞ喜ばざるを得んや。唯だ躬ら倹約を務め、必ず輒く奢侈を為すを得ざらんと欲す。〔▽六二六頁〕
朕、常に、天下の人に賜ひて、皆富貴ならしめんと欲す。今、徭を省き賦を薄くし、農時を奪はず、比屋の人をして、其の耕稼を恣にせしめん。此れ則ち富むなり。敦く礼譲を行ひ。郷閭の間をして、少は長を敬し、妻は夫を敬せしめん。此れ則ち貴きなり。但だ天下をして皆然らしめば、朕、管弦を聴かず、畋猟に従はずとも、楽、其の中に在らん。〔▽六二七頁〕