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貞観政要 2000年01月 発行

巻第七 論文史第二十八

第一章

貞観の初、太宗、監修国史官房玄齢に謂ひて曰く、比、前後漢史を見るに、揚雄の甘泉・羽猟、司馬相如の子虚・上林、班固の両都等の賦を載録す。此れ既に文体浮華にして、勧誡に益無し。何の仮ありて之を史冊に書するや。其れ、上書して事を論ずるに、詞理切直にして、政理を裨く可き者有らば、朕が従ふと従はざると、皆、須く備に載すべし、と。〔▽五六一頁〕

第二章

貞観十一年、著作佐郎*とう崇(とうすう)、表して、太宗の文章を編次して集と為さんと請ふ。太宗謂ひて曰く、朕若し事を制し令を出し、人に益有る者は、史は則ち之を書し、不朽と為るに足らん。若し事、古を師とせず、政を乱り物を害せば、詞藻有りと雖も、終に後代の笑ひを貽さん。須ふる所に非ざるなり。祇だ、梁の武帝父子、及び陳の後主・隋の煬帝の如き、亦、大いに文集有り。而れども為す所多く不法にして、宗社、皆、須臾に覆滅せり。凡そ人主為るは惟だ徳化に在り。何ぞ必ずしも文章を事とするを要せんや、と。竟に許さず。〔▽五六二頁〕

第三章

尚書左僕射房玄齢、侍中魏徴、散騎常侍姚思廉、太子右庶子李百薬、孔穎達、中書侍郎岑文本、礼部侍郎*令狐徳ふん(れいことくふん)、舎人許敬宗等、貞観十年を以て、周斉梁陳隋等の五代の史を撰成して奏上す。〔▽五六三頁〕
太宗、之を労して曰く、良史は善悪必ず書し、懲勧と為すに足る。秦の始皇は奢侈度無く、志、悪を隠すに在り。書を焚き儒を坑し、用て談者の口を緘す。隋の煬帝は、志、悪を隠すに在り。日に学を好み天下の学士を招集すと雖も、全く礼待せず。竟に歴代の一史も修め得ること能はず、数百年の事、殆ど将に泯絶せんとす。朕、今、近代の人主の善悪を見て、以て身の誡と為さんと欲す。故に公等をして之を修めしめ、遂に能く五代の史を成す。深く朕が懐に副ふ、極めて嘉尚す可し、と。是に於て、進級班賜、各々差降有り。〔▽五六四頁〕

第四章

貞観十三年、*ちょ遂良(ちょすいりょう)、諌議大夫と為り、兼ねて起居注に知たり。太宗問ひて云く、卿、比、起居に知たり、何等の事を書するや。大抵、人君は観見することを得るや、否や。朕、此の注記を見んと欲する者は、将に却つて為す所の得失を観、以て警誡と為さんとするのみ、と。遂良云く、今の起居は、古の左右史にして、以て人君の言行を記す。善悪必ず書し、人主の非法を為さざらんことを庶幾ふ。帝王の躬自ら史を観るを聞かず、と。〔▽五六五頁〕
太宗曰く、朕、不善有らば、卿必ず記録するや、と。遂良対へて曰く、臣聞く、道を守るは官を守るに如かず、と。臣、職、載筆に当る。何ぞ之を書せざらん、と。黄門侍郎*劉き(りゅうき)進みて曰く、人君、過失有るは、日月の蝕の如く、人、皆、之を見る。設ひ、遂良をして記せざらしむとも、天下の人、皆、之を記せん、と。〔▽五六六頁〕

第五章

貞観十四年、太宗、房玄齢に謂ひて曰く、朕、毎に前代の史書を覩るに善を彰はし悪を*や(や)ましめ、将来の規誡と為すに足る。知らず、古より、当代の国史は、何に因りて帝王をして親ら見しめざる、と。対へて曰く、国史は既に善悪必ず書し、人主の非法を為さざらんことを庶幾ふ。止だ応に旨に忤ふ有らんことを畏るるなるべし。故に見るを得ざるなり。〔▽五六八頁〕
太宗曰く、朕が意は、殊に古人に同じからず。今、自ら国史を看んと欲する者は、若し善事有らば、故より論ずるを須ひず。若し悪事有らば、亦、以て鑒誡と為し、便ち自ら用て修改するを得んと欲するのみ。卿、撰録して進め来る可し、と。玄齢等、遂に国史を刪略して、編年の体と為し、高祖・太宗実録各々二十巻を撰し、表して之を上る。〔▽五六九頁〕
太宗、六月四日の事を見るに、語、微文多し。乃ち玄齢に謂ひて曰く、昔、周公、管蔡を誅し、而して周室安し。季友、叔牙を鴆し、而して魯国を寧し。朕の為す所は、義、此の類に同じ。蓋し社稷を安んじ万人を利する所以なるのみ。史官、筆を執るに、何ぞ隠す有るを煩はさん。宜しく即ち浮詞を改削して、其の事を直書すべし、と。〔▽五六九頁〕
侍中魏徴奏して曰く、臣聞く、人主、位、尊極に居り、忌憚する所無し。惟だ国史のみ用て懲勧を為す有り。若し書するに実を以てせずんば、後人何をか観ん。陛下、今、史臣をして其の辞を正さしむるは、雅に至公の道に合す。即ち天下の幸甚なり、と。〔▽五七〇頁〕