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貞観政要 2000年01月 発行

巻第六 論貪鄙第二十六

第一章

貞観の初、太宗、侍臣に謂ひて曰く、人、明珠有れば、貴重せざるは莫し。若し以て雀を弾ぜば、豈に惜む可きに非ずや。況んや、人の性命は、明珠よりも甚だし。金銀銭帛を見て、刑網を懼れず、径に即ち受納するは、乃ち是れ性命を惜まざるなり。明珠は是れ身外の物なるに、尚ほ雀を弾ず可からず。何ぞ況んや性命の重き、乃ち以て財物に博へんや。群臣若し能く備に忠直を尽くし、国家に益有らば、則ち官爵立ちどころに至らん。皆、此の道を以て栄を求むること能はず、遂に妄に銭物を受く。贈賄既に露はれ、其の身も亦殞す。実に笑ふ可しと為す、と。〔▽五三五頁〕

第二章

貞観二年、上、侍臣に謂ひて曰く、朕、常に謂へらく、貪人は財を愛するを解せざるなり、と。内外の官五品以上の如きに至りては、禄秩優厚にして、一年の得る所、其の数自ら多し。若し人の財賄を受くるも、数万に過ぎざらん。一朝彰露せば、禄秩削脱せらる。此れ豈に是れ財物を愛するを解するならんや。小得を規りて大失する者なり。昔、公儀休、性、魚を嗜めども、人の魚を受けず。其の魚長く存す。且つ主と為りて貪なれば、必ず其の国を喪ぼし、臣と為りて貪なれば、必ず其の身を亡ぼす。詩に曰く、大風、隧有り、貪人、類を敗る、と。固に謬言に非ざるなり。〔▽五三六-七頁〕
昔、秦の恵王、蜀を伐たんと欲すれども、其の径を知らず。乃ち五石牛を刻し、金を其の後に置く。蜀人、之を見、以為へらく牛能く金を便す、と。蜀王、五丁の力士をして牛を*ひ(ひ)きて蜀に入らしめ、道成る。秦の師、随ひて之を伐ち、蜀国遂に滅亡せり。漢末の大司農田延年、贈賄三千万、事覚はれて自ら死せり。此の如きの流、何ぞ勝て記す可けんや。朕、今、蜀王を以て元亀と為さん。公等も亦、須く延年を以て覆轍と為すべきなり、と。〔▽五三七-八頁〕

第三章

貞観四年、太宗、公卿に謂ひて曰く、朕、終日孜孜たるは、但に百姓を憂憐するのみに非ず、亦、卿等をして長く富貴を守らしめんと欲す。天は高からざるに非ず、地は厚からざるに非ず。朕常に競競業業として、以て天地を畏る。卿等若し能く小心にして法を奉ずること、当に朕が天地を畏るるが如くなるべければ、直に百姓安寧なるのみに非ず、自身常に驩楽を得ん。〔▽五三九頁〕
古人云ふ、賢者、財多ければ、其の志を損じ、愚者、財多ければ、其の過を生ず、と。此の言、以て深誡と為す可し。若し私に徇ひ貪濁ならば、止に公法を壊り、百姓を損するのみに非ず、縦ひ事未だ発聞せずとも、中心豈に恒に恐懼せざらんや。恐懼既に多く、亦、因りて死を致す有り。大丈夫豈に苟くも財物を貪り、以て身命を害し、子孫をして毎に愧恥を懐かしむるを得んや。卿等宜しく深く此の語を思ふべし、と。〔▽五四〇頁〕

第四章

貞観四年、濮州の刺史*ほう相寿(ほうそうじゅ)、貪濁聞ゆる有り。追還解任せらる。殿庭にて自ら陳べ、幕府の旧左右にして、実に貪濁ならず、と。太宗、之を矜み、舎人をして之に謂はしめて曰く、爾は是れ我が旧左右なり。我、極めて爾を哀矜す。爾、他の銭物を取れるは、祇だ応に貧の為めなるべし。今、爾に絹一百匹を賜ふ。還りて任所に向ひ、更に罪過を作す莫かれ、と。〔▽五四一頁〕
魏徴、進みて言ひて曰く、相寿の貪濁は、遠近の知る所なり。今、故旧の私情を以て、其の貪濁の罪を赦し、加ふるに厚賞を以てし、還して任に復らしむ。相寿の性識は、未だ愧恥を知らず。幕府の左右は其の数甚だ多し。人人、皆、恩私を恃まば、善を為す者をして懼れしむるに足る、と。〔▽五四一頁〕
太宗、欣然として之を納れ、相寿を前に引かしめ、親しく之に謂ひて曰く、我、昔、王と為り、一府の為めに主と作る。今、天子と為り、四海の為めに主と作る。既に四海の主と為れば、偏りて一府に恩択を与ふ可からず。向に爾をして重任せしめんと欲せしが、左右以為へらく、若し爾、重任せらるるを得ば、必ず善を為す者をして皆、心を用いざらしめん、と。今、既に左右の言ふ所を以て是と為す。便ち我が私意を申ぶるを得ず。且つ爾を放ちて帰らしむ、と。乃ち雑物を賜ひて之を遣る。相寿も亦辞し、悌を流して去る。〔▽五四二頁〕

第五章

貞観六年、右衛将軍陳万福、九成宮より京に赴くとき、法に違ひて、駅家の麩数石を取る。太宗、其の麩を賜ひ、自ら負ひて出でしめ、以て之を恥ぢしむ。〔▽五四三頁〕

第六章

貞観十年、持書御史権万紀、上書して言ふ、宣饒の二州、諸山大いに銀坑有り。之を採らば、極めて是れ利益あらん。毎歳、銭数百万貫を得可からん、と。太宗、謂ひて曰く、朕、貴きこと天子為り、少乏する所無し。惟だ嘉言善事の百姓に益有る者を須つ。国家、数百万貫の銭を*あま(あま)し得とも、何ぞ一才行人を得るに如かん。卿が賢を推し善を進むるの事を見ず。又、不法を按挙し、権豪を震粛する能はず。惟だ只だ銀坑を税鬻するを道ひ、利多きを以て美と為す。〔▽五四三-四頁〕
昔、尭舜は璧を山に抵ち、珠を谷に投ず。是に由りて崇名美号、千載に称せらる。後漢の桓霊二帝は、利を好み義を賎み、近代の庸暗の主為り。卿、遂に我を将て桓霊二帝に比せんと欲するか、と。是の日、放ちて第に還らしむ。〔▽五四五頁〕

第七章

貞観十六年、太宗侍臣に謂ひて曰く、古人云ふ、鳥、林に棲むも、猶ほ其の高からざらんことを恐れ、復た木末に巣ふ。魚、泉に蔵るるも、猶ほ其の深からざらんことを恐れ、復た其の下に窟穴す。然れども人の獲る所と為る者は、皆、餌を貪るに由るが故なり、と。〔▽五四六頁〕
今、人臣、任を受けて、高位に居り、厚禄を食む。当に須く忠正を履み、公清を蹈むべし。則ち災害無く、長く富貴を守らん。古人云ふ、禍福は門無し、惟だ人の召く所のみ、と。然らば其の身を陥るる者は、皆、財利を貪冒するが為めなり。夫の魚鳥と、何を以て異ならんや。卿等、宜しく此の語を思ひ、用て鑒誡と為すべし、と。〔▽五四六頁〕