貞観政要 2000年01月 発行
巻第六 慎言語第二十二
第一章
貞観二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕、毎日、朝に坐し、一言を出さんと欲すれば、即ち此の言は百姓に於て利益有りや否やを思ふ。敢て多言せざる所以なり、と。給事中兼知起居事杜正倫進みて曰く、君挙すれば必ず書し、言、左史に存す。臣、職、兼修起居注に当る。敢て愚直を尽くさずんばあらず。陛下、若し一言、道理に乖かば、則ち千載、聖徳に累せん。止だ当今、百姓に損あるのみに非ず。願はくは陛下、之を慎めよ、と。太宗大いに悦び、絹百匹を賜ふ。〔▽四九〇頁〕
第二章
貞観八年、上、侍臣に謂ひて曰く、言語は、君子の枢機なり。談何ぞ容易ならんや。凡そ匹庶に在りても、一言、善からざれば、人則ち之を記し、其の恥累を成す。況んや是れ万乗の主をや。言を出すこと乖失する所有る可からず。其の虧損する所、至大なり。豈に匹夫に同じからんや。朕当に此を以て誡と為すべし。〔▽四九一頁〕
隋の煬帝、初めて甘泉宮に幸し、泉石、意に称ふ。而して蛍火無きを怪み、勅して云ふ、蛍火を捉取し、宮中に於て夜を照らせ、と。所司遽に数千人を遣はして採拾し、五百輿を宮側に送る。小事すら尚ほ爾り。況んや其の大事をや、と。魏徴対へて曰く、人君は四海の尊に居る。若し虧失有らば、古人以て日月の蝕の如く、人皆之を見ると為す。実に陛下の戒慎する所の如きなり、と。〔▽四九二頁〕
第三章
貞観十六年、太宗、公卿と言ひて古道に及ぶ毎に、必ず詰難往復す。散騎常侍*劉き(りゅうき)上書して諌めて曰く、帝王と凡庶と、聖哲と庸愚と、上下相懸たり、擬倫斯に絶す。是に知る、至愚を課して至聖に対し、極卑を以てして極尊に対する、徒らに自ら強むるを思ふとも、得可からざるなり。陛下、恩旨を下し、慈顔を仮し、旒を凝し以て其の言を聴き、襟を虚しくし以て其の説を納るるも、猶ほ群下の未だ敢て対揚せざらんことを恐る。況んや神機を動かし、天弁を縦にし、辞を飾りて以て其の理を折き、古を援きて以て其の議を排せば、凡蔽をして何に階して応答せしめんと欲する。〔▽四九三頁〕
臣聞く、皇天は言ふ無きを以て貴しと為し、聖人は言ふ無きを以て徳と為す、と。老君は大弁は訥の若し、と称し、荘生は至道は言無し、と称す。此れ、皆、煩はしきを欲せざるなり。是を以て、斉侯、書を読み、輪扁竊かに笑ひ、漢皇、古を慕ひて、長孺、譏を陳ぶ。此れ亦、労するを欲せざるなり。且つ多く記すれば則ち心を損じ、多く語れば則ち気を損ず。心気、内に損ずれば、形神、外に労す。初めは覚らずと雖も、後には必ず累を為さん。須く社稷の為めに自愛すべし。豈に性好の為めに自ら傷らんや。〔▽四九四頁〕
竊に以みるに、今日の昇平は、皆、陛下の力行の致す所なり。其の長久を欲せば、弁博に由るに匪ず。但だ当に彼の愛憎を忘れ、茲の取捨を慎み、毎時敦朴に、至公に非ざる無きこと、貞観の初の若くならば則ち可なるべし。秦政の強弁にして、人心を自ら矜るに失ひ、魏文の宏才にして、衆望を虚説に虧くが如きに至りては、此れ才弁の累、較然として知るべきなり。伏して願はくは、茲の雄弁を略し、浩然として気を養ひ、彼の*しょう図(しょうと)を簡にし、淡焉として目を怡ばし、万寿を南岳に固くし、百姓を東戸に斉しくせんことを。則ち天下の幸甚にして、皇恩斯に畢らん、と。〔▽四九六頁〕
手詔して答へて云く、慮に非ざれば、以て下に臨むこと無く、言に非ざれば、以て慮を述ぶる無し。比、談論有り、遂に煩多を致す。物を軽んじ人に驕ること、恐らくは茲の道に由らん。形神心気、此を労と為すに非ず。今、*とう言(とうげん)を聞く、懐を虚しくして以て改めん、と。〔▽四九七頁〕