ホーム > 資料室 > 日蓮聖人御直筆写本 > 貞観政要 > 巻第六 慎所好第二十一

資料室

貞観政要 2000年01月 発行

巻第六 慎所好第二十一

第一章

貞観二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、古人云ふ、君は猶ほ器のごときなり。人は猶ほ水のごときなり。方円は器に在り、水に在らず、と。故に尭舜、天下を率ゐるに仁を以てして、人、之に従ふ。桀紂、天下を率ゐるに暴を以てして、人、之に従ふ。下の行ふ所は、皆、上の好む所に従ふ。〔▽四八三頁〕
梁の武帝父子の如きに至りては、志、浮華を尚び、惟だ釈老の教を崇ぶ。武帝、末年、乃ち頻に同泰寺に幸し、親ら仏教を講じ、百寮、皆、大冠高履、車に乗りて扈従し、終日、苦空を談説し、未だ嘗て軍国の典章を以て意と為さず。侯景が兵を率ゐて闕に向ふに及びて、尚書郎已下、多く馬に乗るを解せず。狼狽して歩走し、死する者、道路に相継ぐ。武帝及び簡文、卒に侯景に幽逼せられて死せり。〔▽四八四頁〕
孝元帝、江陵に在り、万紐・于謹の圍む所と為る。帝、猶ほ老子を講じて輟めず、百寮皆戎服して以て聴く。俄にして城陥り、君臣倶に囚執せらる。*ゆ信(ゆしん)も亦其の此の如きを歎じ、哀江南の賦を作るに及びて、乃ち云ふ、宰衡は干戈を以て兒戯と為し、縉紳は清談を以て廟略と為す、と。此の事、亦、鑒戒と為すに足る。朕が今好む所の者は、惟だ尭舜の道、周孔の書に在り。以為へらく鳥の翼有るが如く、魚の水に依るが如く、之を失へば必ず死し、暫くも無かる可からざるのみ、と。〔▽四八五頁〕

第二章

貞観二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、神仙の事は、本是れ虚妄にして、空しく其の名のみ有り。秦の始皇は非分に愛好し、遂に方士の詭詐する所と為り、乃ち童男童女数千人を遣はし、其れに随ひて海に入り仙薬を求めしむ。方士、秦の苛虐を避け、由りて留まりて帰らず。始皇、猶ほ海側に在りて*踟ちゅう(ちちゅう)して之を待つ。還りて沙丘に至りて死せり。又、漢の武帝は、神仙を求むるが為めに、乃ち女を将て道術の人に嫁す。事既に験無く、便ち誅戮を行へり。此の二事に拠るに、神仙は妄りに求むるを須ひざるなり、と。〔▽四八六-七頁〕

第三章

貞観四年、太宗謂ひて曰く、隋の煬帝は、性、猜防を好み、専ら邪道を信じ、云に胡人を忌み、乃ち胡牀を謂ひて交牀と為し、胡瓜を黄瓜と為し、又、長城を築き以て胡に備ふ。終に宇文化及に令狐行達をして之を殺さしめ被る。又、李金才を誅戮し諸李殆ど尽くるに及ぶも、卒に何の益する所あらん。且つ天下に居る者は、惟だ須く身を正しくし己を修むべきのみ。此の外の虚事は、懐に在らしむるに足らず、と。〔▽四八七-八頁〕

第四章

貞観五年、人有り注解図讖を上る。太宗曰く、此れ誠に不経の事、愛好する能はず。朕、徳に杖り義を履み、天下の蒼生を救ひ、上天の*けん命(けんめい)を蒙り、四海の主と為る。安んぞ図讖を用ひん、と。命じて之を焚かしむ。〔▽四八九頁〕