貞観政要 2000年01月 発行
巻第六 論倹約第十八
第一章
貞観元年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、政を為すの要は、必ず須く末作を禁ずべし。伝に曰く、雕琢刻鍾は農事を傷り、纂俎文彩は女工を害ふ、と。古より聖人、法を制するや、節倹を崇び、奢侈を革めざるは莫し。又、古より帝王、凡そ興造有るは、必ず須く物情に順ふを貴ぶべし。昔、大禹、九山を鑿ち、九江を通じ、人力を用ふること極めて広し。而るに*怨とく(えんとく)無き者は、物情の欲する所にして、衆の有する所を共にするが故なり。秦の始皇、宮室を営建して、人多く謗議する者は、其の私欲に徇ひて、衆と共にせざるが為めの故なり。朕、今、一殿を造らんと欲し、材木已に具はる。遠く秦皇の事を想ひ、遂に復た作らざるなり。〔▽四六一-二頁〕
古人云ふ、無益を作して有益を害せざれ。欲す可きを見さざれば、人の心をして乱れざらしむ、と。固に知る、欲す可きを見れば、其の心必ず乱るるを。雕鏤器物、珠玉服玩の如きに至るまで、若し其の驕奢を恣にせば、則ち危亡の期、立ちて待つ可きなり。王公より以下、第宅車服、婚娶喪葬、品秩に準じ、服用に合せざる者は、宜しく一切禁断すべし、と。是に由りて二十年の間、風俗簡朴にして、衣、錦繍無く、財帛富饒にして、饑寒の弊無し。〔▽四六三頁〕
第二章
貞観二年、公卿奏して曰く、礼に依るに、季夏の月は、以て*臺しゃ(だいしゃ)に居る可し、と。今、盛暑未だ退かず、秋霖に始まる。宮中は卑湿なり。請ふ一閣を営みて以て之に居られよ、と。上曰く、朕、気病有り、豈に下湿に宜しからんや。若し来請を遂げなば、糜費良に多からん。昔、漢文、将に露臺を起さんとす。而るに十家の産を惜む。朕が徳、漢帝に逮ばず。而るに費す所之に過ぐるは、豈に人の父母為るの道と謂はんや、と。竟に許さず。〔▽四六四頁〕
第三章
貞観四年、上、侍臣に謂ひて曰く、宮宇を崇飾し、池臺に遊賞するは、帝王の欲する所にして、百姓の欲せざる所なり。帝王の欲する所の者は放逸なり、百姓の欲せざる所の者は労弊なり。孔子云く、一言にして以て身を終るまで之を行ふ可き者有り、其れ恕か。己の欲せざる所は、人に施す勿れ、と。労弊の事は、誠に百姓に施す可からず。朕、尊きこと帝王と為り、富、四海を有つ。毎事、己に由る。誠に能く自ら節す。百姓の欲せざるが若きは、必ず能く其の情に順はん、と。〔▽四六五-六頁〕
魏徴対へて曰く、陛下、大いに万姓を憐み、毎に己を節して以て人に順ふ。臣聞く、欲を以て人に従ふ者は昌え、人を以て己を楽ましむる者は亡ぶ、と。隋の煬帝は、志、厭く無きに在り、惟だ奢侈を好む。所司、供奉営造有る毎に、小しく意に称はざれば、則ち峻罰厳刑有り。上の好む所は、下、必ず甚だしき有り。競ひ為すこと限無く、遂に滅亡に至れり。此れ書籍の伝ふる所に非ず、亦、陛下の目に親しく見る所なり。其の無道なるが為めに、故に天、陛下に命じて之に代らしむ。陛下若し以て足れりと為さば、今日、啻に足れるのみにあらず。若し以て足らずと為さば、更に万倍此に過ぐとも、亦、足らざらん、と。太宗曰く、卿の対ふる所甚だ善し。卿に非ずんば、朕安んぞ此の言を聞くを得ん、と。〔▽四六六-七頁〕
第四章
貞観十六年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕、近ごろ劉聡の伝を読むに、聡、将に劉后の為めに*こう儀殿(こうぎでん)を起さんとす。廷尉陳元達、切諌す。聡大いに怒り、命じて之を斬らしむ。劉后、手疏啓請し、辞情甚だ切なり。聡怒乃ち解け、而して甚だ之を愧づ。人の書を読むに、聞見を広め以て自ら益せんことを欲するのみ。朕、此の事を見るに、以て深誡と為す可し。比者、小殿を造り、仍りて重閣を構へんと欲し、藍田に於て木を採らしめ、竝びに已に備具せり。遠く聡の事を想ひて、斯の作遂に已む、と。〔▽四六八頁〕