貞観政要 2000年01月 発行
巻第五 論誠信第十七
第一章
貞観の初、上書して佞臣を去らんことを請ふ者有り。太宗謂ひて曰く、朕の任ずる所は、皆、以て賢なりと為す。卿、佞者の誰なるかを知るや、と。対へて曰く、臣、草沢に居り、的かに佞者を知らず。請ふ、陛下、陽り怒りて以て群臣を試みよ。若し能く雷霆を畏れず、直言進諌するは、則ち是れ正人なり。情に順ひ旨に阿るは、則ち是れ佞人なり、と。〔▽四一二頁〕
帝、封徳彝に謂ひて曰く、朕聞く、流水の清濁は、其の源に在るなり、と。君は政の源、人庶は猶ほ水のごとし。君、自ら詐を為して、臣下の直を行はんことを欲するは、是れ猶ほ源濁りて而も水の清からんことを望むがごとし。理として得可からざるなり。朕、常に、魏の武帝の詭詐多きを以て、深く其の人と為りを鄙む。此の言、豈に教令と為すに堪ふ可けんや、と。上書の人に謂ひて曰く、朕、大信をして天下に行はれしめんことを欲す。詐道を以て俗に訓ふるを欲せず。卿の言は謂れ無し。朕の取らざる所なり、と。〔▽四一三頁〕
第二章
太宗、無忌に謂ひて曰く、朕が即位の初、上書する者有ること、一に非ず。或は言ふ、人主は必ず須く威権独運し、群下に委任するを得ざるべし、と。或は、兵を曜かし武を振ひて四夷を懾伏せんことを欲す。惟だ魏徴のみ朕をして革を偃し文を興し、徳を布き恵を施さしむる有り。中国既に安からば、遠人自ら服せん、と。朕、其の語に従ひ、天下大いに寧く、絶域の君長、皆来りて朝貢し、九夷訳を重ね、道に相望む。凡そ此れ等の事は、皆、魏徴の力なり。朕の任用、豈に人を得ざらんや、と。徴、拝謝して称して曰く、陛下、聖徳、天よりし、心を政術に留む。臣、庸短を以て承受するに暇あらず。豈に聖朝に益有りと称するを得んや、と。〔▽四一四-五頁〕
第三章
貞観十一年、時に屡々閹宦の外使に充つる有り、妄りに奏する所有り、太宗の怒を発す。魏徴進みて曰く、閹竪は、微なりと雖も、左右に狎近し、時に言語有れば、軽くして信じ易し。浸潤の譖、患たること特に深し。今日の明は、必ず慮る所無し。子孫の教を為すには、其の源を救絶せざる可からず、と。太宗曰く、卿に非ざれば、朕安んぞ此の語を聞くを得ん。今より以後、使に充つるは宜しく停むべし、と。〔▽四一六頁〕
魏徴曰く、臣聞く、人君たる者は、善を善みして悪を悪み、君子を近づけて小人を遠ざくるに在り、と。善を善みすること明かなれば、則ち君子進む。悪を悪むこと著るれば、則ち小人遠ざかる。君子を近づくれば、則ち朝に粃政無し。小人を遠ざくれば、則ち聴くこと邪に惑はず。小人も小善無きに非ず、君子も小過無きに非ず。君子の小過は、蓋し白璧の微瑕、小人の小善は、則ち鉛刀の一割なり。鉛刀の一割は、良工を重んぜざる所、一善は以て衆悪を掩ふに足らざるなり。白璧の微瑕は、善賈の棄てざる所、小疵は以て大美を妨ぐるに足らざるなり。小人の小善を善みして、之を善を善よすと謂ひ、君子の小過を悪みて、之を悪を悪むと謂ふが若きは、此れ則ち蒿蘭、臭を同じくし、玉石、分たざるなり。屈原が江に沈みし所以、卞和が血に泣きし所以の者なり。既に玉石の分を識り、又、蒿蘭の臭を弁じ、善を善みすれども進むる能はず、悪を悪めども去る能はざるは、此れ郭氏が墟と為る所以、史魚が恨を遺す所以の者なり。〔▽四一七頁〕
陛下、聡明神武、天姿英叡、志、泛愛に存し、引納すること途多し。善を好めども甚だしくは人を択ばず、悪を疾めども未だ佞を遠ざくること能はず。又、言を出して隠す無く、悪を疾むこと太だ深し。人の善を聞けば、或は未だ全くは信ぜず、人の悪を聞けば、以て必ず然りと為す。独見の明有りと雖も、猶ほ理或は未だ尽くさざらんことを恐る。何となれば則ち君子は人の善を揚げ、小人は人の悪を訐く。悪を言ひて必ず信ぜらるれば、則ち小人の道長ず。善を聞きて或は疑へば、則ち君子の道消す。国家を為むる者は、君子を進めて小人を退くるを急にす。乃ち君子をして道消し、小人をして道長ぜしむれば、則ち君臣、序を失ひ、上下否隔す。乱亡、*うれ(うれ)へず、将た何を以て理まらんや。〔▽四一九頁〕
且つ世俗の常人は、心、遠慮無く、常、告訐に在り、好みて朋黨を言ふ。夫れ善を以て相成す、之を同徳と謂ひ、悪を以て相成す、之を朋黨と謂ふ。今は則ち清濁、流を共にし、善悪、別無く、告訐を以て誠直と為し、同徳を以て朋黨と為す。之を以て朋黨と為せば、則ち事、信ず可き無しと謂ふ。之を以て誠直と為せば、則ち言、皆、取る可しと謂ふ。此れ君恩の下に結ばざる所以、臣忠の上に達せざる所以なり。大臣、弁正する能はず、小臣、之を敢て論ずる莫し。遠近、風を承け、混然として俗を成す。国家の福に非ず、理を為すの道に非ず。適に以て姦邪を長じ、視聴を乱り、君をして信ずる所を知らず、臣をして相安んずるを得ざらしむるに足る。若し深く其の源を絶たずんば、則ち後患未だ之れ息まざるなり。今の行にして未だ敗弊せざる者は、君が遠く慮ること有り、之を始に失ふと雖も、必ず之を終に得るに由るが故なり。若し時、少しく堕るるに逢はば、往きて反らざらん。之を悔いんと欲すと雖も、必ず及ぶ所無からん。既に以て諸を後嗣に伝ふ可からず、復た何ぞ法を将来に垂れん。〔▽四二〇-一頁〕
且つ夫れ善を進めて悪を黜くるは、人に施す者なり。古を以て鑒と作すは、己に施す者なり。貎を鑒みるは止水に在り、己を鑑みるは哲人に在り。能く古の哲王を以て、己の行事を鑑みれば、則ち貎の妍醜、宛然として目に在り、事の善悪、自ら心に得るなり。司過の史を労する無く、芻蕘の議を仮らず、巍巍の功日に著れ、赫赫の名弥々遠し。人君たる者、務めざる可けんや。〔▽四二二頁〕
臣聞く、道徳の厚きは、軒唐よりも尚きは莫く、仁義の隆なるは、舜禹よりも彰はるるは莫し、と。君、軒唐の風を継がんと欲し、将に舜禹の跡を追はんとすれば、必ず之を鎮むるに道徳を以てし、之を弘むるに仁義を以てし、善を挙げて之に任じ、善を択びて之に従ふ。善を択び能に任ぜずして、之を俗吏に委するは、既に遠度無く、必ず大体に遠し。唯だ三尺の律を奉じ、以て四海の人を縄せば、垂拱無為を求めんと欲するも、得可からざるなり。〔▽四二三頁〕
故に聖哲君臨し、風を移し俗を易ふるは、厳刑峻法に資らず、仁義在るのみ。故に仁に非ざれば、以て広く施す無く、義に非ざれば、以て身を正しくする無し。下を恵むに仁を以てし、身を正しくするに義を以てすれば、則ち其の政、厳ならずして理まり、其の教、粛ならずして成る。然れば則ち仁義は理の基なり。刑罰は理の末なり。理を為すの刑罰有るは、猶ほ御を執るの鞭策有るがごときなり。人、皆、化に従へば、刑罰、施す所無し。馬、其の力を尽くせば、則ち鞭策も用ふる所無し。此に由りて之を言へば、刑罰は理を致す可からざること、亦已に明かなり。〔▽四二四頁〕
故に潜夫論に曰く、人君の理は、道徳教化よりも大なるは莫きなり。民に性有り、情有り、化有り、俗有り。情性は心なり、本なり。俗化は行なり、末なり。是を以て、上君の世を撫する、其の本を先にして其の末を後にし、其の心に順ひて其の行を履む。心情苟に正しければ、則ち姦慝、生ずる所無く、邪意、載する所無し。〔▽四二五頁〕
是の故に、上聖は民事を治むるを務めずして、民心を理むるを務む。故に曰く、訟を聴くは、吾猶ほ人のごときなり。必ずや訟無からしめんか、と。之を導くに礼を以てし、務めて其の性を厚くして、其の情を明かにす。民相愛すれば、則ち相害傷するの意無く、動きて義を思へば、則ち姦邪を蓄ふるの心無し。此の若きは、律令の理むる所に非ざるなり。此れ乃ち教化の致す所なり。聖人甚だ徳礼を尊びて、刑罰を卑しむ。故に舜は先づ契に勅するに、敬みて五教を敷くを以てし、而る後に*咎よう(こうよう)に任ずるに、五刑を以てせしなり。凡そ法を立つる者は、以て民の短を司りて過誤を誅するに非ざるなり。乃ち以て姦悪を防ぎて禍を救ひ、淫邪を検して正道に内る。民、善化を蒙れば、則ち人、士君子の心有り、悪政を被れば、則ち人、姦乱を懐ふの慮有り。故に善化の民を養ふは、猶ほ工の*麹し(きくし)を為るがごときなり。六合の人は、猶ほ*一いん(いちいん)のごときなり。黔首の属は、猶ほ豆麦のごときなり。変化云為、将ゐる者に在るのみ。良吏に遭へば、則ち忠信を懐きて仁厚を履み、悪吏に遇へば、則ち姦邪を懐きて浅薄を行ふ。忠厚積もれば、則ち太平を致し、浅薄積もれば、則ち危亡致す。〔▽四二五-六頁〕
是を以て、聖帝・明王、皆、徳化を敦くして、威刑を薄くするなり。徳は、己を修むる所以なり。威は、人を理むる所以なり。民の生や、由ほ鑠金の炉に在るがごとく、方円薄厚は、鎔制に随ふのみ。是の故に、世の善悪、俗の薄厚は、皆、君に在り。世主、誠に能く六合の内、挙世の人をして、咸く方厚の情を懐きて、浅薄の悪無く、各々公正の心を奉じて、姦険の慮無からしめば、則ち*醇げん(じゅんげん)の俗、復た茲に見はれん、と。後王、未だ古に遵ひて専ら仁義を尚ぶ能はずと雖も、当に刑を慎み典を*うれ(うれ)へ哀敬して私無かるべし。故に管子に曰く、聖君は法に任じて智に任ぜず、公に任じて私に任ぜず。故に天下に王とし、国家を理む、と。〔▽四二七-八頁〕
貞観の初、志、公道を存す。人、犯す所有れば、一一、法に於てす。縦ひ時に臨みて処断するも、或は軽重有れば、但だ臣下の執論するを見、忻然として受納せざるは無し。民、罪の私無きを知る、故に甘心して怨みず。下、言の忤ふ無きを見る。故に力を尽くして以て忠を効す。頃年以来、意漸く深刻なり。三面の網を開くと雖も、而も川中の魚を察見す。取捨は愛憎に在り、軽重は喜怒に由る。之を愛する者は、罪、重しと雖も、而も強ひて之が辞を為し、之を悪む者は、過、小なりと雖も、而も深く其の意を探る。法、定科無く、情に任せて以て軽重す。人、執論する有れば、之を疑ふに阿偽を以てす。故に罰を受くる者は、控告する所無く、官に当る者は、敢て正言する莫し。其の心を服せずして、但だ其の口を窮む。之に罪を加へんと欲せば、其れ辞無からんや。〔▽四二九頁〕
又、五品已上、犯す有れば、悉く曹司をして聞奏せしむ。本、其の情状を察して、哀矜する所有らんと欲す。今は乃ち曲さに小節を求め、或は其の罪を重くし、人をして攻撃せしめ、惟だ深からざるを恨む。事、重條無く、之を法外に求む。加ふる所、十に六七有り。故に頃年、犯す者は上聞せんことを懼れ、法司に付するを得れば、以て多幸と為す。告訐、已むこと無く、窮理、息まず。君、上に私し、吏、下に姦す。細過を求めて大体を忘れ、一罰を行ひて衆姦を起す。此れ乃ち公平の道に背き、泣辜の意に乖く。其の人和し訟息まんことを欲するも、得可からざるなり。〔▽四三〇-一頁〕
故に体論に云はく、其れ淫逸盗竊は、百姓の悪む所なり。我、従ひて之を刑罰す。当に過ぐと雖も、百姓、我を以て暴と為さざるは、公なればなり。怨曠飢寒も、亦百姓の悪む所なり。遁れて之が法に陥る。我、従ひて之を寛宥す。百姓、我を以て偏と為さざるは、公なればなり。我の重くする所は、百姓の憎む所なり。我の軽くする所は、百姓の憐む所なり。是の故に賞軽けれども善を勧め、刑省けども姦を禁ず。〔▽四三二頁〕
之に由りて之を言へば、公の法に於ける、可ならざる無きなり。過軽も亦可なり、過重も亦可なり。私の法に於ける、可なる無きなり。過軽は則ち姦を縦し、過重は則ち善を傷る。聖人の法に於けるや公なり。然れども猶ほ其の未だしきを懼れて、之を救ふに化を以てす。此れ上古の務むる所なり。後の獄を理むる者は則ち然らず。未だ罪人を訊せざれば、則ち先づ之が意を為し、其の之を訊するに及びては、則ち駆りて之を意に致す、之を能と謂ふ。獄の由つて生ずる所を探りて之が分を為さずして、上、人主の微旨を求めて以て制を為す、之を忠と謂ふ。其の官に当るや能に、其の上に事ふるや忠なれば、則ち名利に随ひて之に与ふ。駆りて之を陥れ、道化の隆なるを望まんと欲するは、亦難からずや。〔▽四三三頁〕
凡そ訟を聴き獄を決するには、必ず父子の親に原づき、君臣の義を立て、軽重の叙を権り、浅深の量を測り、其の聡明を悉くし、其の忠愛を致し、然る後に之を察す。疑はしければ則ち衆と之を共にし、疑はしければ則ち軽き者に従ふ。之を重んずる所以なり。故に舜、*咎よう(こうよう)に命じて云く、汝、士と作れ。惟れ刑を之*うれ(うれ)へよ、と。又復た之に加ふるに三訊を以てし、衆の善しとする所にして、然る後之を断ず。是を以て法を為ること之を人情に参す。故に伝に曰く、小大の獄、察する能はずと雖も、必ず情を以てす、と。而るに世俗の拘愚苛刻の吏は、以為へらく情とは、貨を取る者なり、愛憎を立つる者なり、親戚を右くる者なり、怨讎を陥るる者なり、と。何ぞ世俗の小吏の情と夫の古人との懸に遠きや。有司、此の情を以て之を群吏に疑ひ、人主、此の情を以て之を有司に疑ふ。是れ君臣上下、通ぜずして相疑ふなり。通ざずして相疑ひ、其の忠を尽くし節を立てんことを欲するは難し。〔▽四三四頁〕
凡そ獄を理むるの情、必ず犯す所の事に本づきて以て之が主と為し、放訊せず、旁求せず、多端を貴びて以て聡明を見はさず。故に律に其の挙劾の法を正し、其の辞を参伍するは、実を求むる所以なり。実を飾る所以に非ざるなり。但だ正に参伍して明かに之を聴くべきのみ。獄吏をして鍛錬して理を飾り、辞を手に成さしめず。孔子曰く、古の獄を聴くは、之を生かす所以を求むるなり。今の獄を聴くは、之を殺す所以を求むるなり、と。故に言を析きて以て律を破り、案を詆りて以て法を成し、左道を執りて政を乱すは、皆、王誅の必ず加はる所以なり、と。〔▽四三五-六頁〕
又、淮南子に曰く、豊水の深さ十仞、金鉄、焉に在れば、則ち形、外に見はる。深く且つ清からざるに非ず。而も魚鼈、之に帰する莫きなり。故に政を為す者は、苛を以て察と為し、切を以て明と為し、下を刻するを以て忠と為し、訐多きを以て功と為す者は、譬へば猶ほ革を広くするがごとし。大は則ち大なり。裂くるの道なり、と。〔▽四三六-七頁〕
夫れ賞の疑はしきは重きに従ひ、罰の疑はしきは軽きに従ふ。君、其の厚きに居るは、百王の通制なり。故に蔵孫の厳猛、魯邦、其の亡びざるを患へ、子産の寛仁、鄭国、其の将に死せんとするを憂ふ。刑の軽重、恩の厚薄、思はるると疾まるると、其れ日を同じうして言ふ可けんや。且つ法は、国の権衡なり。時の準縄なり。権衡は、軽重を定むる所以、準縄は、曲直を正す所以なり。今、法を作るには其の寛平を貴び、人を罪するには其の厳酷を欲す。喜怒、情を肆にし、高下、心に在り。是れ則ち準縄を捨てて以て曲直を正し、権衡を捨てて軽重を定むる者なり。亦惑へるならずや。〔▽四三八頁〕
諸葛孔明は、小国の相なり。猶ほ曰く、吾が心は秤の如し。人の為に軽重を為す能はず、と。況んや万乗の主、封ず可きの日に当りて、心に任じて法を去りて、怨を人に取らんや。又、時に小事の、人の聞くを欲せざるもの有れば、則ち暴に威怒を作して、以て謀議を*とど(とど)む。若し為す所是ならば、外に聞ゆとも、其れ何ぞ傷まん。若し為す所非ならば、之を掩ふと雖も、其れ何ぞ益せん。故に諺に曰く、人の知らざらんことを欲せば、為さざるに若くは莫し。人の聞かざらんことを欲せば、言ふ勿きに若くは莫し、と。之を為して人の知らざらんことを欲し、之を言ひて人の聞かざらんことを欲するは、此れ猶ほ雀を捕へて以て目を掩ひ、鐘を盗みて耳を掩ふ者の如し。祇に以て其れ怪を取る、将た何の益あらんや。〔▽四三八-九頁〕
臣又之を聞く、常に乱るるの国無く、治む可からざるの民無し。君の善悪に在り、化の薄厚に由る、と。故に禹湯は之を以て理まり、桀紂は之を以て乱れ、文武は之を以て安く、幽は之を以て危し。是を以て、古の哲王は、己を罪して以て人を尤めず、身に求めて以て下を責めず。故に曰く、禹湯は己を罪し、其の興るや勃焉たり。桀紂は人を罪し、其の亡ぶるや忽焉たり、と。今、己を罪するの事は未だ聞かず、人を罪するの心は已むこと無し。既に惻隠の情に乖き、実に姦邪の路を啓く。温舒、之を嚢日に恨む、臣も亦、当今に恨みんと欲す。恩、人心に結ばずして、而も刑措きて用ひざらんことを望むは、聞く所に非ざるなり。〔▽四四〇頁〕
臣聞く、尭に敢諌の鼓有り、舜に誹謗の木有り、湯に司過の史有り、武に戒慎の銘有り、と。此れ皆、之を無形に聴き、之を未有に求め、己の心を虚しくして以て下を待ち、下情の上に達し、上情の私無く、君臣、徳合することを庶ふ者なり。魏の文帝云はく、有徳の君は、逆耳の言、犯顔の諍を聞くを楽み、忠臣を親しみ、諌士を厚くし、讒匿を斥け、佞人を遠ざくる所以の者は、誠に、身を全くし国を保ち、滅亡を遠避せんと欲する者なり、と。凡百の君子、期に膺り運を統べ、縦ひ未だ上下、私無く、君臣、徳を合する能はずとも、身を全くし国を保ち、滅亡を遠避せんと欲せざる可けんや。書に云く、木、縄に従へば則ち正しく、君、諌に従へば則ち聖なり、と。然らば則ち古より聖哲の君、功なり事立つは、未だ徳を同じくし心を同じくして、予違へば汝弼くるに資らざる者有らざるなり。〔▽四四一-二頁〕
昔在、貞観の初、身を側て行を励まし、謙以て益を受け、善を聞けば必ず改む。時に小過有れば、忠規を引納す。直言を聴く毎に、喜、顔色に形はる。故に凡そ忠烈に在るもの、咸く其の辞を竭くせり。頃、海内虞無く、遠夷懾伏せしより、志意盈満し、事、厥の初に異なれり。高く邪を疾むを断ずれども、旨に順ふの説を聞くを喜び、空しく*忠とう(ちゅうとう)を論ずれども、耳に逆ふの言を悦ばず。私嬖の径漸く開け、至公の道日に塞がる。往来行路も、咸く之を知れり。故に埋輪壊疏の士をして、徒らに諤諤の心を懐き、牽裾折檻の臣をして、未だ懍懍の気を申べざらしむ。国の興喪は、実に斯の道に由る。人の上たる者、勉めざる可けんや。〔▽四四三-四頁〕
臣、数年以来、明旨を奉ずる毎に、深く群下の肯て言を尽くす莫きを怪しむ。臣竊かに之を思ふに、抑も由つて来るもの有り。比者、人或は上書し、事、得失有れば、惟だ其の短なる所を述ぶるを見、未だ其の長ずる所を称する有らず。又、天居自ら高く、龍鱗、犯し難し。造次に在りて、言を尽くす可からず。時に陳ぶる所有れども、意を尽くす能はず。又、重ねて謁せんことを思へども、其の道因し無し。且つ言ふ所理に当たれども、未だ必ずしも寵秩を加へず。意或は乖忤すれば、将に恥辱の之に随ふ有らんとす。能く節を尽くす莫きは、寔に此に由る。左右近侍は、*かい(かい)に朝夕すと雖も、事或は顔を犯すは、皆顧望を懐く。況んや疎遠にして接せざるは、将た何ぞ其の忠款を極めんや。〔▽四四四-五頁〕
又、時に或は宣言して云ふ、臣下、事を見れば、祇だ来り道ふ可し。何ぞ言ふ所に因りて、即ち我が用ふるを望まん、と。此れ乃ち諌を拒ぐの辞にして誠に忠を納るるの意に非ず。何を以てか之を言ふ。主の厳顔を犯し、可を献じ否を替つるは、主の美を成し、主の過を匡す所以なり。若し主聴惑ふこと有り、事、行はざる有らば、其れをして*忠とう(ちゅうとう)の言を尽くし、股肱の力を竭くさしむるも、猶ほ恐らくは事に臨みて懼れ、肯て其の誠款を効すこと莫からん。若し其れ道ふ所を論ぜば、便ち是れ其の面従を許し、而して又其の未だ言を尽くさざるを責むるなり。進退将に何の拠る所あらんとする。必ず其れをして諌を致さしめんと欲せば、之を好むに在るのみ。〔▽四四六頁〕
所以に斉桓、紫を服するを好みて、合境、異色を虞るる無し。楚王、細腰を好みて、後宮、餓死多し。夫れ耳目の玩を以てすら、既に人猶ほ死するも違はず。況んや聖明の君、忠正の士を求むれば、千里斯に応ずること、信に難しと為さず。若し徒らに其の言有れども、内に其の実無くんば、其の必ず至らんことを欲するも、之を得可からざるなり、と。〔▽四四七頁〕
太宗、手詔して曰く、前後の諷諭を省するに、皆、切至の言にして、固に卿に望む所なり。朕、昔、衡門に在りしとき、尚ほ惟れ童幼にして、未だ師保の訓に漸らず、先達の言を聞くこと罕なり。隋氏の分崩するに値ひ、万邦塗炭し、慄慄たる黔黎、身を庇ふに所無し。朕、二九の年より、溺を拯はんことを懐ふ有り、憤を発し袂を投じ、便ち干戈を事とし、霜露を蒙犯し、東西征伐し、日、給するに暇あらず、居、寧歳無く、蒼昊の霊を降し、廟堂の略を稟け、義旗の指す所、触向すれば平夷し、弱水流沙、竝びに*ゆう軒(ゆうけん)の使を通じ、被髪左衽、竝びに衣冠の域となり、正朔の班つ所、遠しとして届らざるは無し。恭しく宝暦を承け、*つつし(つつし)みて帝図を奉じ垂拱無為にして、氛埃静息すること、茲に於て十有余年なり。〔▽四四八頁〕
斯れ蓋し股肱、帷幄の謀を*つく(つく)し、爪牙、熊羆の力を竭くして、徳を協はせ心を同じくし、以て此を致す。豈に其れ寡薄にして、独り斯の休を享けんや。毎に大宝神器は、憂深く責重きを以て、常に万機多曠にして、四聡の達せざらんことを懼る。何ぞ嘗て戦戦競競として、坐して以て旦を待たざらんや。公卿に詢ひ、以て芻蕘*そう隷(そうれい)に至り、推すに赤心を以てし、刑措かんことを庶幾ふ。昔者、徇斉叡智、風牧に資りて以て隆平を致し、翼善欽明、稷契に頼りて以て至道を康んず。然る後、文徳武功、載せて鍾石に勒し、淳風至徳、以て竹素に伝へ、克く鴻名を播き、常に称首と為る。朕、虚薄を以て多く往代に慙づ。若し舟楫に任ぜずんば、豈に彼の巨川を済るを得んや。塩梅い藉らずんば、安んぞ夫の鼎味を調ふるを得んや、と。絹三百匹を賜ふ。〔▽四五〇頁〕
第四章
貞観十五年、魏徴、上疏して曰く、臣聞く、国を為むるの基は、必ず徳礼に資る。君の保つ所は、惟だ誠信に在り。誠信立てば、則ち下、二心無し。徳礼形はるれば、則ち遠人斯に格る、と。然れば則ち徳礼誠信は、国の大網、父子・君臣在りて、斯須も廃す可からざるなり。〔▽四五二頁〕
故に孔子曰く、君、臣を使ふに礼を以てし、臣、君に事ふるに忠を以てす、と。又曰く、古より皆死在り。人、信無くんば立たず、と。文子曰く、同じく言ひて信ぜらるるは、信、言の前に在り。同じく令して誠なるは、誠、令の後に在り、と。然れば則ち言ひて行はれざるは、言、信ならざるなり。令して従はれざるは、令、誠無きなり。信ならざるの言、誠無きの令、上と為りては則ち徳を敗り、下と為りては則ち身を危くす。顛沛の中に在りと雖も、君子の為さざる所なり。〔▽四五二-三頁〕
王道休明なりしより、十有余歳、威、海外に加はり、万国来庭し、倉廩日に積み、土地日に広し。然れども道徳未だ厚きを益さず、仁義未だ博きを益さざる者は、何ぞや。蓋し下を待つの情、未だ誠信を尽くさざるに由り、始を善くするの勤有りと雖も、未だ終を克くするの美を覩ざるが故なり。〔▽四五四頁〕
夫れ君、能く礼を尽くし、臣、忠を竭くすを得るは、必ず、外内、私無く、上下相信ずるに在り。上、信ならざれば、則ち以て下を使ふ無く、下、信ならざれば、則ち以て上に事ふる無し。信の道為るや大なるかな。故に天より之を祐く、吉にして利あらざるは無し、と。〔▽四五五頁〕
昔、斉の桓公、管仲に問ひて云く、吾、能く酒をして爵に腐り、肉をして俎に腐らしめんと欲す。覇に害無きを得んや、と。管仲曰く、此れ極めて其の善なる者に非ず。然れども亦覇を害する無きなり、と。公曰く、何如せば覇を害せんか、と。管仲曰く、人を知る能はざるは、覇を害するなり。知つて用ふる能はざるは、覇を害するなり。用ひて任ずる能はざるは、覇を害するなり。任じて信ずる能はざるは、覇を害するなり。既に信じて又小人をして之に参せしむるは、覇を害するなり、と。〔▽四五六頁〕
晋の中行穆伯、鼓を攻む。年を経て下すこと能はず。餽間倫曰く、鼓の嗇夫、間倫、之を知る。請ふ士大夫を疲らす無くして、鼓、得べし、と。穆伯、応へず。左右曰く、戟を折らず、一卒を傷はずして、鼓、得可し。君奚為れぞ取らざる、と。穆伯曰く、間倫の人と為りや、佞にして仁ならず。若し間倫をして、之を下さしめば、吾、以て之を賞せざる可けんや。若し之を賞せば、是れ佞人を賞するなり。佞人、志を得れば、是れ晋国の士をして、仁を捨てて佞を為さしめん。吾、鼓を得と雖も、将た何ぞ之を用ひん、と。〔▽四五六-七頁〕
夫れ穆伯は、列国の大夫、管仲は覇者の佐なるに、猶ほ能く信任を慎み、佞人を遠避すること此の如し。況んや四海の大君と為り、千齢の上聖に応じて、巍巍の盛徳をして、復た将に間然する所有らしむ可けんや。若し君子小人をして、是非、雑はらざらしめんと欲せば、必ず之を懐くるに徳を以てし、之を待つに信を以てし、之をますに義を以てし、之を節するに礼を以てし、然る後、善を善みして悪を悪み、罰を審かにして賞を明かにするときは、則ち小人は其の佞邪を絶ち、君子は自ら強めて息まず、無為の治、何の遠きことか之れ有らん。善を善みせども進むる能はず、悪を悪めども去る能はず、罰、罪有るに及ばず、賞、功有るに加はらずんば、則ち危亡の期、或は保す可からざらん。永く祚胤を錫はんこと、将た何ぞ望まんや、と。太宗、疏を覧て歎じて曰く、若し卿に遇はずんば、何に由りて此の説を聞くを得んや、と。〔▽四五七-八頁〕
第五章
貞観十七年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、伝に称す、食を去り信を存す、と。孔子云く、人、信無くんば立たず、と。昔、項羽既に咸陽に入り、已に天下を制す。向に能く力めて仁信を行はば、誰か能く奪はんや、と。房玄齢対へて曰く、仁智礼義信、之を五常と謂ふ。一を廃すれば不可なり。能く勤めて之を行はば、甚だ裨益有らん。殷紂、五常を狎侮し、武王、之を伐つ。項氏、仁信無きを以て、漢祖の奪ふ所と為る。誠に聖旨の如し、と。〔▽四五九頁〕