貞観政要 2000年01月 発行
巻第五 論孝友第十五
第一章
司空房玄齢、継母に事へて能く色を以て養ひ、恭謹、人に過ぐ。其の母病み、医人を請ふ。門に至れば、必ず迎へ拝して泣を垂る。喪に居るに及びて、尤も甚だ柴毀す。太宗、散騎常侍*劉き(りゅうき)に命じ、就きて寛譬を加へしめ、寝牀に就き漸く塩菜を食せしむ。〔▽三九〇-一頁〕
第二章
虞世南、初め隋に仕へて起居舎人を歴。宇文化及の弑逆の際、其の兄の世基、時に内史侍郎たり。将に誅せられんとするとき、世南、抱持して号泣し、身を以て死に代はらんと請ふ。化及、竟に納れず。世南、此より哀毀骨立すること数載、時人、称重す。〔▽三九一-二頁〕
第三章
韓王元嘉、貞観の初*ろ州(ろしゅう)の刺史と為る。時に年十五。州に在りて、太姫疾有りと聞き、便ち涕泣して食せず。京師に至り喪を発するに及びて、哀毀、礼に過ぐ。太宗、其の至性を嗟し、屡々之を慰勉す。元嘉、閨門修整にして、寒素の士大夫に類する有り。其の弟の魯王*霊き(れいき)と、甚だ相友愛す。兄弟集まり見ゆること、布衣の礼の如し。其の身を修め己を潔くすること、当代の諸王、能く及ぶ者莫し。〔▽三九二-三頁〕
第四章
霍王元軌、武徳中、初めて封ぜられて呉王と為る。貞観七年、寿州の刺史と為る。属々高祖崩じて職を去り、毀瘠、礼に過ぐ。自後、毎に布服を衣、終身の戚有るを示す。太宗嘗て侍臣に問ひて云く、朕が子弟孰か賢なる、と。侍中魏徴対へて曰く、臣、愚暗にして、尽くは其の能を知ること能はず。惟だ呉王数々臣と言ふ。臣未だ嘗て自失せずんばあらず、と。上曰く、卿、前代を以て誰に比す、と。徴曰く、経学文雅は、亦、漢の間平なり。孝行の如きに至りては、乃ち古の曾閔なり、と。是に由りて、寵遇弥々厚し。因りて徴の女を妻はせむ。〔▽三九四頁〕
第五章
貞観中、突厥の史行昌といふもの有り、玄武門に直す。食ひて肉を捨く。人、其の故を問ふ。曰く、帰りて以て母に奉ぜん、と。太宗聞きて歎じて曰く、仁孝の性は、豈に華夷を隔てんや、と。馬一疋を賜ひ、詔して其の母に肉料を給せしむ。〔▽三九五頁〕