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貞観政要 2000年01月 発行

巻第五 論仁義第十三

第一章

貞観元年、太宗曰く、朕、古来の帝王を看るに、仁義を以て治を為す者は、国祚延長なり。法に任じて人を御する者は、弊を一時に救ふと雖も、敗亡も亦促る。既に前王の成事を見ば、元亀と為すに足る。今、専ら仁義誠信を以て治を為さんと欲す。近代の澆薄を革めんことを望むなり、と。〔▽三五五頁〕
黄門侍郎王珪対へて曰く、天下凋喪すること日久し。陛下、其の余弊を承けて、道を弘め風を移す。万代の福なり。但だ賢に非ざれば理まらず。惟だ人を得るに在り、と。太宗曰く、朕、賢を思ふの情、豈に夢寐にも捨てんや、と。給事中杜正倫進んで曰く、世必ず才有り。時の用ふる所に随ふ。豈に伝説を夢み、呂尚に逢ふを待ちて、然る後に治を為さんや、と。太宗、深く其の言を納る。〔▽三五六頁〕

第二章

貞観の初、太宗従容として侍臣に謂ひて曰く、周の武王、紂の乱を平げ、以て天下を有つ。秦の始皇、周の衰へたるに乗じて、遂に六国を呑む。其の天下を得たるは殊ならず、何ぞ祚運の長短は、此の若く之れ相懸るや、と。〔▽三五七頁〕
尚書左僕射*蕭う(しょうう)進みて曰く、紂、無道を為し、天下、之に苦しむ。故に八百の諸侯、期せずして会せり。周室、微なりと雖も、六国、罪無し。秦氏、専ら智力に任じて、諸侯を蠶食せり。平定するは同じと雖も、人情は則ち異なれり、と。上曰く、然らず。周既に殷に克ち、務めて仁義を弘む。秦既に志を得て、専ら詐力に任ぜり。但だ之を取ること異なる有るのみに非ず、抑も亦之を守ることも同じからず。祚の修短、意ふに茲に在らん、と。〔▽三五八頁〕

第三章

貞観二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕謂へらく、乱離の後、風俗、移し難し、と。比、百姓を観るに、漸く廉譲を知り、官人、法を奉じ、盗賊日に稀なり。故に知る、人は常の俗無く、但だ政に治乱有るのみなるを。是を以て、国を為むるの道は、必ず須く之を撫するに仁義を以てし、之に示すに威信を以てすべし。人の心に因り、其の苛刻を去り、異端を作さざれば、自然に安静なり。公等宜しく共に斯の事を行ふべし、と。〔▽三五九頁〕

第四章

貞観四年、房玄齢奏して言ふ、今、武庫を閲するに、甲仗、隋日に勝ること遠し、と。太宗曰く、兵を飭めて冦に備ふるは、是れ要事なりと雖も、然れども朕は、惟だ、卿等が心を治道に存し、務めて忠貞を尽くし、百姓をして安楽ならしめんことを欲す。便ち是れ朕の甲仗なり。隋の煬帝は、豈に甲兵足らざるが為めに、以て滅亡に至りしならんや。正に、仁義修めずして、群下怨み叛くに由るが故なり。宜しく此の心を識り、常に徳義を以て相輔くべし、と。〔▽三六〇頁〕

第五章

貞観五年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、天道、善に福し淫に禍するは、事、猶ほ影響のごとし。昔、啓人、国を亡ひて隋の文帝に奔る。文帝、粟帛を惜まず、大いに士衆を興し、営衛安置し、乃ち存立するを得たり。既にして疆盛なり。当に須らく子子孫孫、長く徳に報ゆるを思ふべし。纔に失畢に至りて、即ち兵を起して煬帝を雁門に圍む。隋国の乱るるに及びて、又、強を恃みて深く入る。遂に昔其の国家を安立せし者をして、身及び子孫、竝びに頡利兄弟の屠戮する所と為らしむ。今、頡利破亡せり、豈に恩に乖き義を忘るるの致す所に非ずや、と。群臣咸曰く、誠に聖旨の如し、と。〔▽三六一頁〕

第六章

貞観十二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、林深ければ則ち鳥棲み、水広ければ則ち魚游び、仁義積めば則ち物自ら之に帰す。人は皆、災害を畏避するを知れども、仁義を行ふを知らず。仁義を行へば則ち災害生ぜず。夫れ仁義の道は、当に之を思ひて心に在らしめ、常に相継がしむべし。若し斯須も懈惰せば、之を去ること已に遠し。猶ほ飲食の身を資くるが如し、恒に腹をして飽かしむれば、乃ち其の性命を存す可し、と。王珪頓首して曰く、陛下能く此の言を知る。天下の幸甚なり、と。〔▽三六二-三頁〕