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貞観政要 2000年01月 発行

巻第四 規諌太子第十二

第一章

貞観五年、李百薬、太子の右庶子と為る。時に太子、頗る意を典墳に留む。然れども閑讌の後、嬉戯、度に過ぐ。百薬、賛導の賦を作りて以て諷す。〔▽三〇九頁〕
其の詞に曰く、下臣側に先聖の格言を聴き、嘗て載籍の遺則を覧る。伊れ天地の元造より、皇王の建国に*およ(およ)ぶ。曰く、人紀と人綱とは、言を立つると徳を立つるとに資る。之を履めば則ち性に率ひて道を成し、之に違へば則ち念ふこと罔くして慝を作す。興廃を望めば鈞に従ふが如く、吉凶を*糾ぼく(きゅうぼく)に視る。乃ち図を受け*ろく(ろく)に膺り、鏡を握りて君臨するに至りて、万物の恩化に因り、百姓を以て心と為す。大儀の潜運に傷み、往古を来今に閲し、善を為すを乙夜に尽くし、勤労を少陰に惜む。故に能く増氷を瀚海に釈かし、寒谷を*たい林(たいりん)に変ず。人霊を総べて以て胥悦び、穹壌を極めて音を懐ふ。〔▽三〇九-一〇頁〕
赫たり聖唐、大なるかな霊命。時惟れ太始、運、上聖に鍾まる。天縦の皇儲、本を固くし正に居り、機晤宏遠に、神姿凝映し、三善を顧みて必ず弘め、四徳を祇みて行と為す。毎に庭に趨りて礼を聞き、常に寝を問ひて敬を資る。聖訓を奉じて以て周旋し、天文の明命を*あきら(あきら)かにし邁きて喬を観て梓を望み、元亀と明鏡とに即く。大道云に革まり、礼教斯に起りてより、以て君臣を正しくし、以て父子を篤くし、君臣の礼、父子の親、情義を尽くして兼ね極む。諒に道徳は之れ人に在り。豈に夏啓と周誦とのみならんや、亦丹朱と商均とあり。既に雕し且つ琢し、故きを温ねて新しきを知る。惟だ忠と敬と、曰く孝と仁とは、則ち以て下、四海を光らし、上、三辰を燭らす可し。〔▽三一一-二頁〕
昔、三王の子を教ふるや、四時を兼ねて以て学に歯し、将に中外に交発せんとす。故に之に先だつに礼楽を以てす。楽は以て風を移し俗を易へ、礼は以て上を安んじ人を化す。鍾鼓に悦ぶ有るに非ず、将に志を宣べて以て神を和せんとす。玉帛に懐ふ有るに非ず、将に己に克ちて身を庇はんとす。深宮の中に生れ、群后の上に処り、未だ深く王業を思はず、自ら匕鬯を珍とせず、富貴は之れ自ら然りと謂ひ、崇高を恃みて以て矜尚するは、必ず驕很を恣にし、動もすれば礼譲を*かか(かか)げ、師伝を軽んじて礼儀を慢り姦諂に狎れて淫放を縦にす。則ち前星の曜遽に隠れ、少陽の道斯に諒し。天下を之れ家と為すと雖も、夷険を蹈むこと之れ一に非ず。或は才を以てして升され、或は讒に遇ひて黜を受く。以て厥の休咎を省み、其の得失を観る可きに足る。〔▽三一四頁〕
請ふ粗ぼ略して之を陳べん。覬はくは文を披きて質を相よ。隆周の徳を積むに在りては、乃ち契を執りて期に膺り、昌発の弐を作すに頼りて、七百の鴻基を啓く。扶蘇の秦を継ぐに逮びては、問望に虧くる有るに非ず、長嫡の隆重を以て、偏師を亭障に監す。始禍は則ち金以て寒離、厥の妖は則ち火、炎上せず。既に樹置の道に違へる。宗祀の*すみや(すみや)かに喪ぶるを見る。〔▽三一五頁〕
伊れ漢氏の世を長くするは、固に明両の逓に作ればなり。高、戚に惑ひて趙を寵し、天下を以て謔と為す。恵、皓に結びて良に因り、羽翼を寥廓に致す。景、*とう子(とうし)に慙づる有り、従理の淫虐を成す。終に患を強呉に生ずるは、怒を争博に発するに由る。徹、儲両に居る、時猶ほ幼沖なり。防年の絶義を知り、亜夫の矜功を識る。故に能く祖業を恢弘し、三代の遺風を紹ぐ。拠、博望を開く、其の明未だ融かならず。哀しいかな時命の奇舛にして、讒賊に江充に遇ふ。兵を借りて以て乱を誅すと雖も、竟に義に背きて凶終す。宣嗣、儒を好み、大猷行くゆく闡かんとす。尤を徳教に被るを嗟し、言を忠謇に発するを美とす。始め道を韋匡に聞き、終に戻を恭顕に得。太孫の雑芸は、定陶に異なりと雖も、馳道、絶たざるは、抑も惟だ小善のみ。猶ほ通人に重んぜられ、尚ほ芳を前典に伝ふ。〔▽三一六-七頁〕
中興の上嗣、明章済済たり。倶に政術に達し、咸く経礼に通ず。至情を敬愛に極め、友于を兄弟に惇くす。是を以て、東漢の遺堂を固くし、西周の継体に同じくす。五官、魏に在る、徳音を聞く無し。或は譏を妲己に受け、且つ自ら禽に従ふを悦ぶ。才高くして学富むと雖も、竟に累を荒淫に取る。貽厥を明皇に曁ぼし、崇基を三世に構ふ。秦帝の奢侈を得、漢武の才芸に亜ぎ、遂に郡臣を駆役し、又凋弊を救ふ無し。〔▽三二〇頁〕
中撫は寛愛にして、相表、奇多し。桃符を重んじて惑を致し、鉅鹿の弘規を納る。竟に能く江表の氛穢を掃ひ、要荒を挙げて羈せらる。恵、東朝に処り、其の遺跡を察するに、聖徳に在りて其れ初の如し、寔に御牀は之れ惜む可し。愍懐の云に廃するを悼み、烈風の沙を吹くに遇ひ、性霊の猥褻を尽くし、亦自ら凶邪に敗る。安んぞ能く其の粢盛を奉じ、此の邦家を承けん。〔▽三二一頁〕
惟れ聖上の慈愛なる、義方を至道に訓へ、論政を漢幄に同じくし、致戒を*京こう(けいこう)に修む。韓子の賜ふ所を鄙み、経術を重んじて宝と為す。咨、政理の美悪は、亦文身の黼藻なり。庶はくは愚夫に択ぶ有らんことを、言を遺老に乞ふを慙ぢんや。庶績を咸寧に致すは、先づ人を得て盛んと為す。帝尭は則哲を以て謨を垂れ、文王は多士を以て詠を興す。之を正人に取り、之を鑑みるに霊鏡を以てし、其の器能を量り、其の検行を審かにし、必ず宜しく機を度りて職を分つべく、方に違ひて以て政に従ふ可からず。若し其れ聴受に惑ひ、人を知るに暗ければ、則ち有道の者は咸く屈し、無用の者は畢く伸び、諂諛競ひ進みて以て媚を求め、玩好召さずして自ら臻り、直言正諌、忠信を以て罪を獲、官を売り獄を鬻ぎ、貨賄を以て親まる。是に於て、我が王度を虧き、我が彝倫を*やぶ(やぶ)る。九鼎、姦回に遇ひて遠く逝り、万姓、我を撫するを望みて仁に帰す。〔▽三二二-三頁〕
蓋し造化の至育、惟だ人霊を之れ貴しと為す。獄訟、理まらざれば、生死の異塗有り。冤結、申びざれば、陰陽の和気に感ず。士の通塞、之を属するに深文を以てし、命の修短、之を酷吏に懸く。是の故に、帝尭は象を画して、恤隠の言を陳ぶ。夏禹は辜に泣きて、哀矜の志を尽くす。〔▽三二五頁〕
因つて象を大壮に取り、乃ち宇を峻くして牆に雕り、瑶臺と瓊室とを将てす。豈に画棟と虹梁とのみならんや。或は雲を陵ぎて以て遐観し、或は天に通じて涼を納る。酔飽を極めて人力を刑し、痿蹶を命じて身の殃を受く。是の故に十家の産を惜むを言ひ、漢帝は以て倹を昭かにして裕を垂る。百里の囿を成すと雖も、周文は子来を以てして克く昌んなり。〔▽三二六頁〕
彼の嘉会して礼通ずる、旨酒の徳たるを重んず。帰るを忘るるに至りて祉を受け、斉聖に在りては温克す。若し夫れ*くえい(くえい)して以て昏を致し、酖湎して惑を為すは、殷受と潅夫と、亦家を亡ぼして国を喪ふを痛む。是を以て、伊尹は酣室を以て戒を作し、周公は邦を乱るを以て則を貽す。〔▽三二七頁〕
咨幽閑の令淑なる、実に君子に好き逑たり。玉輦を辞して愛を割く、固に班姫の恥づる所なり。簪珥を脱して愆を思ふ、亦宣姜の美たるなり。乃ち晋に禍するの驪姫、周を亡ぼすの*褒じ(ほうじ)有り。妖妍を図画に尽くし、凶悖を人理に極む。傾城傾国、昭かに後王に示さんことを思ふ。麗質冶容、宜しく永く前史に鑒みるべし。〔▽三二八頁〕
復た蒐狩の礼、馳射の場有り。之を節するに正義を以てせざれば、必ず自ら禽荒に致す。外形の疲極するのみに匪ず、亦中心にして狂を発す。夫れ高深をも懼れざるは、胥靡の徒、*こう緤(こうせつ)を娯と為すは、小竪の事なり。宗社の崇重を以て、先王の名器を持し、鷹犬と与にして竝び馳せ、艱険を凌ぎて轡を逸にす。馬に*銜けつ(かんけつ)の理有り、獣は不存の地に駭く。猶ほ獲多きに*てん面(てんめん)し、独り情の内に愧づる無からんや。〔▽三三〇頁〕
小人の愚鄙を以て、不貲の恩栄を忝くす。無庸を草沢に擢で、陋質を簪纓に歯す。大道行はれて両儀泰なるに遇ひ、元良盛んにして万国貞しきを喜ぶ。監撫の暇多きを以て、毎に論講を粛成に於てす。惟神の敏速を仰ぎ、将聖の聡明を歎ず。自ら賢を秋実に礼し、道を春卿に帰するに足る。〔▽三三一頁〕
芳年淑景、時和し気清し。華殿邃くして簾帷静に、潅木森として風雲軽し。花、香を飄して動きて笑み、鳥、嬌囀して相鳴く。物華の繁靡を以てすら、尚ほ思を将迎に絶ち、猶ほ道を蹈みて倦まず、耽翫を極めて以て精を研く。庸才に命ずるに筆を載するを以てす。*ち藻(ちそう)を天庭に謝す。洞簫の娯侍に異なり、飛蓋の情に縁るに殊なる。雅命以て徳を誦するを闕き、恩に報いて以て生を軽んずるを思ふ。敢て下拝して稽首し、願はくは永く風声を樹て、皇礼の遐寿を奉じ、振古の鴻名に冠たらんことを、と。〔▽三三二頁〕
太宗見て使を遣はして百薬に謂ひて曰く、朕、皇太子の所に於て、卿が作る所の賦を見るに、古来の儲弐の事を述べ、以て太子を誡む。甚だ是れ典要なり。朕、卿を選びて以て太子に輔弼せしむるは、正に此の事の為なり。太だ委ぬる所に称ふ。但だ須く始を善くし終を令くすべきのみ、と。詔して厩馬一匹、綵物三百段を賜ふ。〔▽三三三-四頁〕

第二章

貞観中、太子承乾、数々礼度を虧く。太子の右庶子于志寧、諌苑二十巻を撰して之を諷す。太宗大いに悦び、黄金一斤、絹三百匹を賜ふ。是の時、太子の右庶子孔穎達、毎に顔を犯して進諌す。承乾の乳母遂安婦人、穎達に謂ひて曰く、我が太子成長せり。何ぞ宜しく屡々面折するを得べき、と。対へて曰く、国の厚恩を蒙る。死すとも恨む所無からん、と。諌諍逾々切なり。太宗甚だ之を嘉し、帛五百段、黄金一斤を賜ひ、以て承乾の意を励ます。〔▽三三四-五頁〕

第三章

貞観十三年、太子の右庶子張玄素、太子承乾、頗る遊畋を以て学を廃するを以て、上書して諌めて曰く、臣聞く、皇天は親しむ無し、惟だ徳を是れ輔く、と。苟に天道に違へば、人神同に棄つ。然して古の三駆の礼は、殺を教へんと欲するに非ず、将に百姓の為めに害を除かんとす。故に湯、一面に羅し、天下、仁に帰す。今、苑内、猟を娯むは、名は遊畋に異なりと雖も、若し之を行ひて恒無くんば、終に雅度を虧かん。〔▽三三六頁〕
且つ伝【伝説】に曰く、学、古を師とせざるは、説が聞く攸に匪ず、と。然れば則ち道を弘むるは、古を学ぶに在り。古を学ぶは、必ず師の訓に資る。既に恩詔を奉じ、孔穎達をして侍講せしむ。望むらくは数々顧問を存し、以て万一を補ひ、仍ほ博く名行有る学士を選び、兼ねて朝夕侍奉し、聖人の遺教を覧、既往の行事を察し、日に其の足らざる所を知り、月に其の能くする所を忘るる無からんことを。此れ則ち善を尽くし美を尽くす。夏啓・周誦、焉んぞ言ふに足らんや。〔▽三三七頁〕
夫れ人の上たる者は、未だ其の善を求めずんば有らず。但だ性の情に勝たざるを以て、耽惑して乱を為す。耽惑既に甚だしければ、忠言遂に塞がる。故に臣下苟順し、君道漸く虧く。古人、言へる有り、小悪を以てして去らず、小善を恥ぢて為さざる勿れ、と。故に知る、禍福の来るは、皆、漸より起るを。殿下、地、儲両に居る。当に須く広く嘉猷を樹つべし。既に畋を好むの淫有り。何を以てか斯の匕鬯を主らん。終を慎むこと始の如くなるすら、猶ほ漸く衰へんことを懼る。始すら尚ほ慎まずんば、終将に安にか保たんとする、と。承乾、納れず。〔▽三三八頁〕
玄素、又、上書して諌めて曰く、臣聞く、礼に称す、皇太子、学に入りて冑に歯す、とは、太子をして君臣・父子・長幼の道を知らしめんと欲するなり。然れども君臣の義・父子の親、尊卑の序、長幼の節、之を方寸の内に用ひ、之を四海の外に弘むるは、皆、行に因りて以て遠く聞え、言を仮りて以て光に被ふ。〔▽三三九頁〕
伏して惟みるに、殿下、叡質已に隆なり。尚ほ須く文を学びて以て其の表を飾るべし。竊に孔穎達・趙弘智等を見るに、惟だ宿徳鴻儒なるのみに非ず、亦兼ねて政要に達す。望むらくは、数々侍講を得、物理を開釈し、古を覧今を諭り、叡徳を増暉せしめんことを。騎射・畋遊・酣歌・妓翫の如きに至りては、苟くも耳目を悦ばし、終に心神を穢す。漸染既に久しくば、必ず情性を移さん。古人、言へる有り、心は万事の主たり、動きて節無ければ即ち乱る、と。臣、殿下の背徳の源、此に在らんことを恐る、と。承乾、書を覧て愈々怒り、玄素に謂ひて曰く、庶子、風狂を患へるか、と。〔▽三四〇頁〕

第四章

貞観十四年、太宗、玄素が東宮に在りて、頻りに進諌有るを知り、擢でて銀青光禄大夫、行太子左庶子、を授く。時に承乾、嘗て宮中に於て鼓を打つ。声、外に聞ゆ。玄素、閤を叩きて、見えんことを請ひ、極言切諌す。承乾乃ち宮内の鼓を出し、玄素に対して之を毀る。戸奴を遣はして、玄素が早く朝するを伺ひ、陰に*馬た(ばた)を以て之を撃たしめ、殆ど死に至る。〔▽三四一頁〕
是の時、承乾、好みて亭観を営造し、奢侈を窮極し、費用日に広し。玄素、上書して諌めて曰く、臣、愚蔽を以て位を両宮に竊む。臣に在りては江海の潤有り、国に於ては秋毫の益無し。是を用つて、必ず愚誠を竭くし、臣節を尽くさんことを思ふ者なり。伏して惟みるに、皇儲の寄、荷戴殊に重し。如し其れ徳を積むこと弘からずんば、何を以てか成業を嗣ぎ守らん。〔▽三四二頁〕
聖上、殿下の親は則ち父子、事は家国を兼ぬるを以て、応に用ふべき所の物、節限を為さず。恩旨未だ六旬を踰えざるに、物を用ふること已に七万に過ぎたり。驕奢の極、孰か云に此に過ぎん。龍楼の下、惟だ工匠を聚め、望苑の内、賢良を覩ず。〔▽三四三頁〕
今、孝敬を言へば、則ち視膳問竪の礼を闕き、恭順を語れば、則ち君父の慈訓の方に違ひ、風声を求むれば、則ち学を愛し道を好むの実無く、挙措を観れば、則ち因縁誅戮の罪有り。宮臣正士、未だ嘗て側に在らず、群邪淫巧、深宮に昵近す。愛好する者は、遊手・雑色、施与する者は、竝に図画・雕鏤なり。外に在りて瞻仰するに、已に此の失有り。中に居りて隠密なるは、寧ぞ勝げて計ふ可けんや。宣猷の禁門、*かんかい(かんかい)に異ならず、朝に入り暮に出で、悪声漸く遠し。〔▽三四三頁〕
右庶子趙弘智は、経明かに行修まり、当今の善士なり。臣、毎に、奏請し、数々召し進めんことを望む。乃ち之と談論せば、徽猷令旨を広むるに庶からん。反つて猜嫌有り、臣妄りに相推引すと謂ふ。善に従ふこと流るるが如くなるも、尚ほ逮ばざらんことを恐る。非を飾り諌を拒がば、必ず是れ損を招かん。古人云はく、苦薬は病に利あり、苦言は行に利あり、と。伏して願はくは安きに居りて危きを思ひ、日に一日を慎まんことを、と。書入る。承乾大いに怒り、刺客を遣はして、将に屠害を加へんとす。俄に宮廃するに属す。〔▽三四五頁〕

第五章

貞観十四年、太子事于志寧、太子承乾が盛んに曲室を造り、奢侈、度に過ぎ、声楽を耽好するを以て、上書して諌めて云く、臣聞く、倹を克くし用を節するは、寔に道を弘むるの源、侈を崇び情を恣にするは、乃ち徳を敗るの本なり、と。是を以て、雲を凌ぎ日を概し、戎人是に於て譏を致す。宇を峻くし牆に雕る、夏書、之を以て誡めと作す。昔、趙盾、晋を匡し、呂望、周に師たり。或は之に勧むるに財を節するを以てし、或は、之を諌むるに斂を厚くするを以てす。忠を尽くして以て国を佐け、誠を竭くして以て君に奉ぜざるは莫く、茂実をして無窮に播し、英声をして物聴に被らしめんと欲す。咸く簡策に著はし、用つて美談と為す。〔▽三四六頁〕
且つ今居る所の東宮は、隋日の営建なり。之を覩る者、尚ほ其の侈を譏り、之を見る者、猶ほ其の華を歎ず。何ぞ此の中に於て、更に修造する有る容けんや。財帛日に費え、土木、停ます、斤斧の工を窮め、*磨ろう(まろう)の妙を極む。且つ丁匠・官奴、内に入り、比者、皆仗監無し。此れ等は或は兄、国章を犯し、或は弟、王法に罹る。御苑に往来し、*禁い(きんい)に出入し、鉗鑿、其の身に縁り、槌杵、其の手に在り。千牛既に自ら見ず、直長、由つて知るを得る無し。爪牙、外に在り、廝役、内に在り。所司何を以て自ら安んぜん。臣下豈に懼るる無かる容けんや。〔▽三四七-八頁〕
又鄭衛の楽は、古、淫声と謂ふ。昔、朝歌の郷に、車を回す者は*墨てき(ぼくてき)なり。夾谷の会に、剣を揮ふ者は孔丘なり。先聖既に以て非と為し、通賢将に以て失と為さんとす。頃、宮内往往鼓声を聞く。大楽の伎兒、入れば便ち出でず。之を聞く者は股慄し、之を言ふ者は心戦く。往年の口勅、伏して重ねて尋ねんことを請ふ。聖旨慇懃に、明誡懇切なり。殿下に在りては、思はざる可からず。微臣に至りては、懼るる無きを得ず。〔▽三四九頁〕
臣、宮闕に駆馳せしより、已に歳年を積む。犬馬も恩を知り、木石も感を知る。管見する有る所、敢て言を尽くさざらんや。但だ意を悦ばしめ容を取るは、蔵孫、方ぶるに疾疹を以てし、顔を犯し耳に逆ふは、春秋、之を薬石に比す。伏して願はくは、工匠の作を停め、久役の人を罷め、鄭衛の音を絶ち、群小の輩を斥けんことを。則ち三善、允に備はり、万国、貞を作さん、と。承乾、書を覧て悦ばず。〔▽三五〇頁〕
十五年、承乾、盛農の時を以て、駕士等を召して入り役せしめ、分番を許さず。人、怨苦を懐く。又、私に突厥の群竪を引きて宮に入る。志寧上書して諌めて曰く、臣聞く、上天は蓋し高し、日月、其の徳を光かにす。明君は至聖なり、輔佐、其の功を賛く、と。是を以て、周誦、儲に升り、毛畢に匡さる。漢盈、震に居り、資を黄綺に取る。姫旦、法を伯禽に抗げ、賈生、事を文帝に陳ぶ。咸く端士に慇懃に、皆、正人に懇切なり。歴代の賢君、太子に丁寧ならざる者莫し。良に、地、上嗣に膺り、位、副君に処り、善なれば則ち率土、其の恩に霑ひ、悪なれば則ち海内、其の禍に罹るを以てなり。〔▽三五一頁〕
近ごろ聞く、僕侍習馭、駕士獣医、春初より始め、茲の夏晩に迄る。恒に内役に居り、分番を放さず、と。或は家に尊親有り、*温せい(おんせい)を闕く。或は室に幼弱有り、撫養を絶つ。春既に其の耕墾を廃し、夏又其の播殖を妨ぐ。事、存育に乖く、恐らくは怨嗟を致さん。儻し天聴に聞こえば、後に悔ゆとも及ぶこと無からん。〔▽三五二頁〕
又、突厥の達哥支等は、咸く是れ人面獣心の徒なり。之を近づくれば、英声に損有り、之を昵しめば、盛徳に益無し。則ち之を引きて閤に入る。人皆驚駭す。豈に臣の愚識、独り用つて安からざるのみならんや。殿下必ず須く上、至存の聖情に副ひ、下、黎元の本望に允ふべし。微悪を軽んじて避けざる可べからず。小善を略して為さざる容き無し。正に漸を杜ぐの方を敦くし、須く萌を防ぐの術有るべし。不肖を屏退し、賢良に狎近す、此の如くならば則ち善道日に隆に、徳音自ら遠からん。〔▽三五三頁〕
承乾、大いに怒り、刺客張師政・*こつ干承基(こつかんしょうき)を遣はし、就きて之を殺さしめんとす。志寧是の時、母の憂に丁り、起復して事と為る。二人潜にその第に入り、正に苫盧に寝処するを見、竟に忍びずして止む。承乾敗るるに及びて、太宗、其の事を知り、深く志寧を勉労す。〔▽三五四頁〕