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貞観政要 2000年01月 発行

巻第三 論択官第七

第一章

貞観元年、太宗、房玄齢等に謂ひて曰く、理を致すの本は、惟だ審かに才を量り職を授け、務めて官員を省くに在り。故に書に称す、官に任ずるは惟だ賢才をせよ、と。又云ふ、官は必ずしも備へず、惟だ其の人をせよ、と。孔子曰く、官事、必ずしも摂せず、焉んぞ倹と称するを得ん、と。若し其の善なる者を得ば、少しと雖も亦足らん。其の不善なる者は、縦ひ多きも亦何をか為さん。古人も亦、官に其の才を得ざるを以て、地に画きて餅を為すも食ふ可からざるに比するなり。卿宜しく詳かに此の理を思ひ、庶官の員位を量定すべし、と。〔▽一九六頁〕
玄齢等是に由りて置く所の文武官、総べて六百四十三員とす。太宗、之に従ふ。因りて玄齢に謂ひて曰く、此より儻し楽工雑類、仮使、術、儕輩に逾ゆる者有るも、只だ特に銭帛を賜ひて以て其の能を称す可し。必ず官爵を超授して、夫の朝賢君子と肩を比べて立ち、坐を同じくして食ひ、諸の衣冠をして以て恥累と為さしむ可からざるなり、と。〔▽一九七頁〕

第二章

貞観二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕、毎夜、恒に百姓間の事を思ひ、或は夜半に至るまで寐ねず。惟だ都督・刺史の、百姓を養ふに堪ふるや否やを恐る。故に屏風の上に於て、其の姓名を録し、坐臥恒に看る。官に在りて、如し善事有らば、亦、具に名下に列ぬ。朕、深宮の中に居りて、視聴、遠きに及ぶこと能はず。委むる所の者は、惟だ都督・刺史のみ。此の輩は実に理乱の繋る所なり。尤も須く人を得べし、と。〔▽一九八頁〕

第三章

貞観二年、上、尚書右僕射封徳彝に謂ひて曰く、安きを致すの本は、惟だ人を得るに在り。比来、卿をして賢を挙げしむるに、未だ嘗て推薦する所有らず。天下の事は重し、卿、宜しく朕が憂労を分つべし。卿既に言はずんば、朕将た安くにか寄せん、と。対へて曰く、臣愚豈に敢て情を尽くさざらんや。但だ今の見る所、未だ奇才異能有らず、と。上曰く、前代の明王、人を使ふこと器の如くす。才を異代に借らずして、皆、士を当時に取る。豈に伝説を夢み、呂尚に逢ふを待ちて、然る後に、政を為さんや。何の代か賢無からん。但々遺して知らざるを患ふるのみ、と。徳彝慙赧して退く。〔▽一九九-二〇〇頁〕

第四章

貞観二年、太宗、房玄齢・杜如晦に謂ひて曰く、卿は僕射たり。当に朕の憂を助け、耳目を広開し、賢哲を求訪すべし。比聞く、卿等、詞訟を聴受すること、日に数百有りと。此れ即ち符牒を読むに暇あらず、安んぞ能く朕を助けて賢を求めんや、と。因りて尚書省に勅し、細務は皆左右丞に付し、惟だ冤滞の大事の、合に聞奏すべき者のみ、僕射に関せしむ。〔▽二〇一頁〕

第五章

貞観三年、太宗、吏部尚書杜如晦に謂ひて曰く、比、吏部の人を択ぶを見るに、惟だ其の言詞刀筆のみを取り、其の景行を悉さず。数年の後、悪跡始めて彰はれ、刑戮を加ふと雖も、而も百姓已に其の弊を受く。如何して善人を獲可き、と。〔▽二〇二頁〕
如晦対へて曰く、両漢の人を取る、皆、行、郷閭に著れ、然る後に入れ用ふ。故に当時、号して多士と為す。今、毎年選集し、数千人に向なんとす。厚貎飾詞、知悉す可からず。選司但だ其の階品を配するのみ。才を得る能はざる所以なり、と。上乃ち将に漢家の法に依りて、本州をして辟召せしめんとす。会々功臣等、将に世封を行はんとし、其の事遂に止む。〔▽二〇三頁〕

第六章

貞観六年、上、魏徴に謂ひて曰く、古人云ふ、王者は須く官の為めに人を択ぶべし。造次に即ち用ふ可からざ、と。朕、今、一事を行へば、則ち天下の観る所と為り、一言を出せば、則ち天下の聴く所と為る。徳好の人を用ふれば、善を為す者皆勧む。誤りて悪人を用ふれば、不善の者競い進む。賞、其の労に当れば、功無き者自ら退く。罰、其の罪に当れば、悪を為す者誡懼す。故に知る、賞罰は軽々しく行ふ可からず、人を用ふることは弥々須く慎んで択ぶべし、と。〔▽二〇四頁〕
徴対へて曰く、人を知るの事は、古より難しと為す。故に績を考へて黜陟し、其の善悪を察す。今、人を求めんと欲せば、必ず須く審かに其の行を訪ふべし。若し其の善を知りて然る後に之を用ひば、縦ひ此の人をして事を済す能はざらしむとも、只だ是れ才力の及ばざるにて、大害を為さざらん。誤りて悪人を用ひば、縦し強幹ならしめば、患を為すこと極めて多からん。但だ乱代は惟だ其の才を求めて、其の行を顧みず。太平の時は必ず才行倶に兼ぬるを須ちて、始めて之を任用す可し、と。〔▽二〇五頁〕

第七章

貞観十一年、侍御史馬周、上疏して曰く、天下を理むる者は、人を以て本と為す。百姓をして安楽ならしめんと欲せば、惟だ刺史と県令とのみに在り。今、県令既に衆く、皆賢なる可からず。若し毎州、良刺史を得ば、則ち合境蘇息せん。天下の刺史、悉く聖意に称はば、則ち陛下、巌廊の上に端拱す可く、百姓、安からざるを慮らざらん。古より、郡守・県令、皆、賢徳を妙選す。遷擢して宰相と為す有らんと欲すれば、必ず先づ試みるに人に臨むを以てす。或は二千石より、入りて丞相及び司徒・大尉と為る者多し。朝廷は必ず独り内官のみを重んじ、刺史・県令は、遂に其の選を軽くす可からず。百姓の未だ安からざる所以は、殆ど此に由る、と。太宗因りて侍臣に謂ひて曰く、刺史は朕当に自ら簡択すべし。県令は京官の五品以上に詔して、各々一人を挙げしめよ、と。〔▽二〇六-七頁〕

第八章

貞観十一年、治書侍御史*劉き(りゅうき)上疏して曰く、臣聞く、尚書の万機は、寔に政の本と為す、と。伏して尋ぬるに、此の選は、授受誠に難し。是を以て、八座は文昌に比べ、二丞は管轄に方ぶ。爰に曹郎に至るまで、上、列宿に膺る。苟くも職に称ふに非ざれば位を竊み譏りを興す。伏して見るに、比来、尚書省、詔勅稽停し、文案擁滞す。臣誠に庸劣なれども、請ふ其の源を述べん。〔▽二〇八頁〕
貞観の初、未だ令僕有らず。時に省務繁雑なること、今に倍多す。而して左丞載冑・右丞魏徴、竝びに吏方に暁達し、質性平直にして、事の当に弾挙すべきは、廻避する所無し。陛下又仮すに恩慈を以てし、自然に物を粛せり。百司、懈らざりしは、抑も此に之れ由れり。杜正倫が続ぎて右丞に任ずるに及びて、頗る亦下を励ませり。〔▽二〇九頁〕
比者、綱維、挙がらざるは、竝びに勲親、位に在り、器、其の任に非ず、功勢相傾くるが為なり。凡そ官僚に在るもの、未だ公道に循はず、自ら強めんと欲すと雖も、先づ囂謗を懼る。所以に郎中の与奪、惟だ諮稟を事とす。尚書依違して、断決する能はず。或は聞奏を憚り、故らに稽延を事とす。案、理窮まると雖も、仍ほ更に盤下す。去ること程限無く、来ること遅きを責めず。一たび手を出すを経れば、便り年載を渉る。或は旨を希ひて情を失ひ、或は嫌を避けて理を抑ふ。勾司、案成るを以て事畢ると為し、是非を究めず。尚書、便僻を用て奉公と為し、当不を論ずる莫し。互に相姑息し、惟だ弥縫を事とす。且つ衆を選び能に授くること、才に非ざれば挙ぐる莫し。天工、人代る。焉んぞ妄りに加ふ可けんや。懿戚・元勲に至りては、但だ宜しく其の礼秩を優にすべし。或は年高くして耄及び、或は病積み智昏きは、既に時に益無し、宜しく当に之を致すに閑逸を以てすべし。。久しく賢路を妨ぐるは、殊に不可なりと為す。〔▽二一〇頁〕
将に茲の災弊を救はんと欲せば、且つ宜しく尚書左右丞及び左右司郎中を精簡すべし。如し竝びに人を得ば、自然に綱維備に挙がらん。亦当に趨競を矯正すべし。豈に惟だ其の稽滞を息むるのみならんや、と。疏奏す。尋いで*き(き)を以て尚書右丞と為す。〔▽二一二頁〕

第九章

貞観十三年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕聞く、太平の後には、必ず大乱有り、大乱の後には、必ず太平有り、と。大乱の後を承くるは、則ち是れ太平の運なり。能く天下を安んずる者は、惟だ賢才に在り。公等、既に賢を知る能はず、朕、又、遍く知る可からず。日復た一日、人を得るの理無し。今、人をして自ら挙げしめんと欲す。事に於て如何、と。魏徴曰く、人を知る者は智、自ら知る者は明なり。人を知ること既に以て難しと為す。自ら知ること誠に亦易からず。且つ愚暗の人、皆、能に矜り善に伐る。恐らくは澆競の風を長ぜん。自ら挙げしむ可からず、と。〔▽二一三頁〕

第十章

貞観十四年、特進魏徴、上疏して曰く、臣聞く、臣を知るは君に若くは莫く、子を知るは父に若くは莫し、と。父、其の子を知る能はざれば、則ち以て一家を睦まじくする無し。君、其の臣を知る能はざれば、則ち以て万国を斉しくする無し。万国咸寧く、一人、慶有るは、必ず、惟れ良、弼と作るに藉る。俊乂、官に在れば、則ち庶績其れ煕まり、無為にして化す。故に尭舜文武、前載に称せらるるは、咸、人を知るは則ち哲なるを以てなり。多士、朝に盈ち、元凱、巍巍の功を翼け、周邵、煥乎の美を光にす。然れば則ち四岳・九官・五臣・十乱は、豈に惟だ之を嚢代に生じて、独り当今に無き者ならんや。求むると求めざると、好むと好まざるとに在るのみ。〔▽二一四頁〕
何を以て之を言ふ。夫れ美玉明珠、孔翠犀象、大宛の馬、西旅の*ごう(ごう)は、或は足無きなり、或は情無きなり、八荒の表に生れ、途、万里の外に遥なるに、重訳入貢し、道路、絶えざる者は、何ぞや。蓋し中国の好む所なるに由るなり。況んや従仕する者、君の栄を懐ひ、君の禄を食む。之を率ゐて与に義を為せば、将た何くに往くとして至らざらんや。〔▽二一六頁〕
臣以為へらく、之と与に忠を為せば、則ち龍逢・比干に同じからしむ可し。之と共に孝を為せば、曾参・子騫に同じからしむ可し。之と与に信を為せば尾生・展禽に同じからしむ可し。之と共に廉を為せば、伯夷・叔斉に同じからしむ可し、と。然れども今の群臣、能く貞白卓異なる者罕なるは、蓋し之を求むること切ならず、之を励ますこと未だ精ならざるが故なり。若し之を勗むるに忠公を以てし、之を期するに遠大を以てし、各々分職有りて、其の道を行ふを得、貴ければ則ち其の挙ぐる所を観、富みては則ち其の与ふる所を観、居りては則ち其の好む所を観、学べば則ち其の言ふ所を観、窮すれば則ち其の受けざる所を観、賎しければ則ち其の為さざる所を観、其の材に因りて之を取り、其の能を審かにして以て之に任じ、其の長ずる所を用ひ、其の短なる所を掩ひ、之を進むるに六正を以てし、之を戒むるに六邪を以てせば、則ち厳ならずして而も自ら励み、勧めずして而も自ら勉めん。〔▽二一七頁〕
故に説苑に曰く、人臣の行に、六正有り、六邪有り。六正を修むれば則ち栄え、六邪を犯せば則ち辱めらる。何をか六正と謂ふ。一に曰く、萌芽未だ動かず、形兆未だ見はれざるに、照然として独り存亡の機を見て、豫め未然の前に禁じ、主をして超然として顕栄の処に立たしむ。此の如き者は聖臣なり。二に曰く、虚心白意にして、善に進み道に通じ、主を勉めしむるに礼義を以てし、主を喩すに長策を以てし、其の美を将順し、其の悪を匡救す。此の如き者は良臣なり。三に曰く、夙に興き夜に寐ね、賢を進めて懈らず、数々往古の行事を称して、以て主の意を励ます。此の如き者は忠臣なり。四に曰く、明かに成敗を察し、早く防ぎて之を救ひ其の間を塞ぎ、其の源を絶ちて、禍を転じて以て福と為し、君をして終に已に憂無からしむ。此の如き者は智臣なり。五に曰く、文を守り法を奉じ、官に任じ事を職り、禄を辞し賜を譲り、衣食節倹す。此の如き者は貞臣なり。六に曰く、国家昏乱するとき、為す所、諛はず、敢て主の厳顔を犯し、面のあたり主の過失を言ふ。此の如き者は直臣なり。是を六正と謂ふ。〔▽二一八-九頁〕
何をか六邪と謂ふ。一に曰く、官に安んじ禄を貪り、公事を務めず、代と沈浮し、左右観望す。此の如き者は具臣なり。二に曰く、主の言ふ所は、皆、善しと曰ひ、主の為す所は、皆、可なりと曰ひ、隠して主の好む所を求めて之を進め、以て主の耳目を快くし、偸合苟容し、主と楽を為し、其の後害を顧みず。此の如き者は諛臣なり。三に曰く、中実は*険ぴ(けんぴ)にして外貎は小謹、言を巧にし色を令くし、善を妬み賢を嫉み、心に進めんと欲する所は、則ち其の美を明かにして其の悪を隠し、退けんと欲する所は、則ち其の過を揚げて其の美を匿し、主をして賞罰、当らず、号令、行はれざらしむ。此の如き者は奸臣なり。四に曰く、智は以て非を飾るに足り、弁は以て説を行ふに足り、内、骨肉の親を離し、外、乱を朝廷に構ふ。此の如き者は讒臣なり。五に曰く、権を専らにして勢を擅にし、以て軽重を為し、私門、黨を成し、以て其の家を富まし、擅に主命を矯め、以て自ら貴顕にす。此の如き者は賊臣なり。六に曰く、主に諂ふに佞邪を以てし、主を不義に陥れ、朋黨比周して、以て主の明を蔽ひ、白黒、別無く、是非、間無く、主の悪をして境内に布き、四隣に聞えしむ。此の如き者は亡国の臣なり。是を六邪と謂ふ。賢臣は六正の道に処り、六邪の術を行はず。故に上安くして下治まる。生けるときは則ち楽しまれ、死するときは則ち思はる。此れ人臣の術なり、と。〔▽二二〇-一頁〕
礼記に曰く、権衡誠に懸かれば、欺くに軽重を以てす可からず。縄墨誠に陳すれば、欺くに曲直を以てす可からず。規矩誠に設くれば、欺くに方円を以てす可からず。君子、礼を審かにすれば、誣ふるに姦詐を以てす可からず、と。然れば則ち臣の情偽は、之を知ること難からず。又、礼を設けて以て之を待し、法を執りて以て之を禦し、善を為す者は賞を蒙り、悪を為す者は罰を受けば、安んぞ敢て企及せざらんや、安んぞ敢て力を尽くさざらんや。国家、忠良を進め不肖を退けんと欲するを思ふこと、十有余載なり。〔▽二二三頁〕
若し賞、疎遠を遺れず、罰、親貴に阿らず、公平を以て規矩と為し、仁義を以て準縄と為し、事を考へて以て其の名を正し、名に循ひて以て其の実を求めば、則ち邪正、隠るる莫く、善悪自ら分れん。然る後、其の実を取りて、其の華を尚ばず、其の厚きに処りて、其の薄きに居らずんば、則ち言はずして化せんこと、朞月にして知る可きなり。若し徒らに美錦を愛して製せず、人の為めに官を択び、至公の言有りて、至公の実無く、愛すれば則ち其の悪を知らず、憎みて遂に其の善を忘れ、私情に徇ひて以て邪佞を近づけ、公道に乖きて忠良を遠ざくれば、則ち夙夜怠らず、神を労し思を苦しめ、将に至治を求めんとすと雖も、得可からざるなり、と。太宗、甚だ之を嘉納す。〔▽二二四頁〕

第十一章

貞観二十一年、太宗、翠微宮に在り、司農卿李緯に戸部尚書を授く。房玄齢、是の時、京城に留守たり。会々京師より来る者有り。太宗問ひて云く、玄齢、李緯が尚書に拝せらるるを聞きて、如何、と。対へて曰く、玄齢但だ李緯は大好髭鬚と云ひ、更に他の語為し、と。是に由りて遽かに改めて緯に洛州の刺史を授く。〔▽二二六頁〕