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貞観政要 2000年01月 発行

巻第三 君臣鑒戒第六

第一章

貞観六年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、朕聞く、周秦、初め天下を得たるは、其の事、異ならず。然れども、周は即ち惟だ善を是れ務め、功を積み徳を累ぬ。能く七百の基を保ちし所以なり。秦は乃ち其の奢淫を恣にし、好んで刑罰を行ひ、二世に過ぎずして滅ぶ。豈に善を為す者は、福祚延長にして、悪を為す者は、降年永からざるに非ずや。朕又聞く、桀紂は帝王なり。匹夫を以て之に比すれば、則ち以て辱と為す。顔閔は匹夫なり。帝王を以て之に比すれば、則ち以て栄と為す、と。此れ亦帝王の深恥なり。朕毎に此の事を将て、以て鑒戒と為す。常に逮ばずして人の笑ふ所と為らんことを恐る、と。〔▽一八五-六頁〕
魏徴曰く、臣聞く、魯の哀公、孔子に謂ひて曰く、人、好く忘るる者有り。宅を移して、乃ち其の妻を忘る、と。孔子曰く、又、好く忘るること此よりも甚だしき者有り。丘、桀紂の君を見るに、乃ち其の身を忘る、と。願はくは、陛下、毎に此の如きを慮と為すを作さば、後人の笑を免るるに庶からんのみ、と。〔▽一八六-七頁〕
(貞観六年、太宗謂侍臣曰、朕聞、周秦初得天下、其事不異。然周則惟善是務、積功累徳。所以能保七百之基。秦乃恣其奢淫、好行刑罰、不過二世而滅。豈非為善者福祚延長、為悪者降年不永。朕又聞、桀紂、帝王也。以匹夫比之、則以為辱。顔閔、匹夫也。以帝王比之、則以為栄。此亦帝王之深恥也。朕毎将此事以為鑒戒。常恐不逮為人所笑。
魏徴曰、臣聞、魯哀公謂孔子曰、有人好忘者、移宅乃忘其妻。孔子曰、又有好忘甚於此者。丘見桀紂之君、乃忘其身。願陛下毎作如此為慮。庶免後人笑耳。)一八五-七頁)

第二章

貞観十四年、高昌平ぎたるを以て、侍臣を召して宴を賜ふ。太宗、房玄齢に謂ひて曰く、高昌若し臣の礼を失はずんば、豈に滅亡に至らんや。朕、此の一国を平げ、益々危懼を懐く。今、克く久大の業を存せんと欲せば、惟だ当に驕逸を戒めて以て自ら防ぎ、忠謇を納れて以て自ら正し、邪佞を黜け、賢良を用ひ、小人の言を以てして君子を議せざるべし。此を以て之を守らば、安きを獲るに庶幾からんか、と。〔▽一八八頁〕
魏徴進んで曰く、臣、古来の帝王を観るに、乱を撥め業を創むるときは、必ず自ら戒懼し、芻蕘の議を採り、*忠とう(ちゅうとう)の言に従ふ。天下既に安ければ、則ち情を恣にし、欲を肆にし、諂諛を甘楽し、正諌を聞くを悪む。張良は、漢王の計画の臣なり。高祖が天子と為り、当に嫡を廃して庶を立てんとするに及び張良曰く、今日の事は、口舌の能く争ふ所に非ざるなり、と。終に敢て復た関説するところ有らず。況んや陛下功徳の盛んなる、漢祖を以て之を方ぶるに、彼は準ずるに足らず。位に即きて十有五年、聖徳光被す。今、又、高昌を平殄したるも、猶ほ安危を以て意に繋け、方に忠良を納用し、直言の道を開かんと欲す。天下の幸甚なり。〔▽一八八-九頁〕
昔、斉の桓公・管仲・鮑叔牙・*ねい戚(ねいせき)の四人飲す。桓公、叔牙に謂ひて曰く、盍ぞ寡人の為に寿せざるや、と。叔牙、觴を捧げて起ちて曰く、願はくは、公、出でて*きょ(きょ)に在りしときを忘るる無く、管仲をして、魯に束縛せられしときを忘るる無からしめ、*ねい戚(ねいせき)をして、車下に飯牛せしときを忘るる無からしめんことを、と。桓公、席を避けて再拝して曰く、寡人と二大夫と、能く夫子の言を忘るること無くんば、則ち社稷、危からざらん、と。太宗、徴に謂ひて曰く、朕、必ず敢て布衣の時を忘れざらん。公等も叔牙の人と為りを忘るるを得ざれ、と。〔▽一九〇頁〕

第三章

貞観十五年、太宗、特進魏徴に問ひて云く、朕、己に克ちて政を為し、前烈を仰止し、積徳・累仁・豊功・厚利の四者に至りては、朕皆之を行ふ。何等の優劣あるや、と。徴曰く、徳・仁・功・利は、陛下兼ねて之を行ふ。然れば則ち乱を撥めて正に反し、戎狄を除くは、是れ陛下の功なり。黎元を安堵し、各々生業有るは、是れ陛下の利なり。此に由りて之を言へば、功利は多きに居る。惟だ徳と仁とは、願はくは陛下自ら彊めて息まざれば、必ず致す可きなり、と。〔▽一九二頁〕

第四章

貞観十七年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、古より草創の主、子孫に至りて乱多きは、何ぞや、と。司空房玄齢曰く、此れ、幼主は深宮に生長し、少くして富貴に居るが為めに、未だ嘗て人間の情偽、理国の安危を識らず。政を為すこと乱多き所以なり、と。〔▽一九三頁〕
太宗曰く、公の意は、過を主に推す。朕は則ち罪を臣に帰す。夫れ功臣の子弟は、多く才行無く、祖父の資蔭に藉りて、遂に大官に処り、徳義、修まらず、奢縦を是れ好む。主、既に幼弱にして、臣、又不才、顛るるも扶けず。豈に能く乱無からんや。隋の煬帝、宇文述が藩に在りしときの功を録して、化及を高位に擢づ。報効を思はず、翻つて殺逆を行へり。此れ豈に臣下の過に非ずや。朕が此の言を発するは、公等が子弟を戒勗し、愆犯無からしめんことを欲す。即ち国家の慶なるのみ、と。〔▽一九四頁〕
太宗、又曰く、化及と楊玄感とは、即ち隋の大臣にして、恩を受くること深き者なり。子孫皆反す。其の故は何ぞや、と。岑文本対へて曰く、君子は乃ち能く徳を懐ひ、小人は恩を荷ふこと能はず。玄感・化及の徒は。竝びに小人なり。古人、君子を貴びて小人を賎しむ所以なり、と。太宗曰く、然り、と。〔▽一九五頁〕