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貞観政要 2000年01月 発行

巻第二 求諌第四

第一章

太宗、威容厳粛にして、百寮の進見する者、皆、其の挙措を失ふ。太宗、其の此の若くなるを知り、人の事を奏するを見る毎に必ず顔色を仮借し、諌諍を聞き、政教の得失を知らんことを冀ふ。貞観の初、嘗て公卿に謂ひて曰く、人、自ら照らさんと欲すれば、必ず明鏡を須ふ。主、過を知らんと欲すれば、必ず忠臣に藉る。若し主自ら賢聖を恃まば、臣は匡正せず。危敗せざらんと欲するも、豈に得可けんや。故に君は其の国を失ひ、臣も亦独り其の家を全くすること能はず。隋の煬帝の暴虐なるが如きに至りては、臣下、口を鉗し、卒に其の過を聞かざらしめ、遂に滅亡に至る。虞世基等、尋いで亦誅せられて死す。前事、遠からず。公等、事を看る毎に、人に利ならざる有らば、必ず須く極言規諌すべし、と。〔▽一四一-二頁〕

第二章

貞観元年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、正主、邪臣に任ずれば、理を致すこと能はず。正臣、、邪主に事ふれば、亦、理を致すこと能はず。惟だ君臣相遇ふこと、魚水に同じきもの有れば、則ち海内、安かる可し。朕、不明なりと雖も、幸に諸侯数々相匡救す。冀くは直言*こう議(こうぎ)憑りて、天下を太平に致さん、と。〔▽一四三頁〕
諌議大夫王珪対へて曰く、臣聞く、木、縄に従へば則ち正しく、君、諌に従へば則ち聖なり、と。故に古者の聖主には、必ず諍臣七人あり。言ひて用ひられざれば、則ち相継ぐに死を以てす。陛下、聖慮を開き、芻蕘を納る。愚臣、不諱の朝に処る。実に其の狂瞽を*つく(つく)さんことを願ふ、と。太宗、善しと称し、詔して是より宰相内に入りて、国計を平章するときには、必ず諌官をして随ひ入りて、政事を預り聞かしめ、関説する所有らしむ。〔▽一四四頁〕

第三章

貞観二年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、明主は短を思ひて益々善に、暗主は短を護りて永く愚なり。隋の煬帝、好みて自ら矜誇し、短を護り諌を拒ぎ、誠に亦実に犯忤し難し。虞世基、敢て直言せざるは、或は恐らくは未だ深罪と為さざらん。昔、微子、佯狂にして自ら全うす。孔子、亦、其の仁を称す。煬帝が殺さるるに及びて、世基は合に同じく死すべきや否や、と。〔▽一四六頁〕
杜如晦対へて曰く、天子に諍臣有れば、無道なりと雖も、其の天下を失はず。仲尼称す、直なるかな史魚。邦、道有るも矢の如く、邦、道無きも矢の如し、と。世基、豈に煬帝の無道なるを以て、諌諍を納れざるを得んや。遂に口を杜ぢて言ふ無く、重位に偸安し、又、職を辞し退を請ふ能はざるは、則ち微子が佯狂にして去ると、事理、同じからず。昔、晋の恵帝・賈后、将に愍懐太子を廃せんとす。司空張華、竟に苦諍する能はず、阿隠して苟くも免る。趙王倫、兵を挙げて后を廃するに及び、使を遣はして華を収めしむ。華曰く、将に太子を廃せんとするの日、是れ言ふ無きに非ず。当時、納れ用ひられず、と。其の使曰く、公は三公たり。太子、罪無くして廃せらる。言既に従はれずんば、何ぞ身を引きて退かざる、と。華、辞の以て答ふる無し。遂に之を斬り、其の三族を夷ぐ。〔▽一四七頁〕
古人云ふ、危くして持せず、顛して扶けずんば、則ち将た焉んぞ彼の相を用ひん、と。故に君子は大節に臨みて奪う可からざるなり。張華は既に抗直にして節を成す能はず、遜言して身を全くするに足らず、王臣の節、固に已に墜ちたり。虞世基、位、宰補に居り、言を得るの地に在り、竟に一言の諌諍無し。誠に亦合に死すべし、と。〔▽一四九頁〕
太宗曰く、公の言是なり。人君必ず忠良の補弼を須ちて、乃ち身安く国寧きを得。煬帝は、豈に下に忠臣無く、身、過を聞かざるを以て、悪積り禍盈ち、滅亡斯に及べるならずや。若し人主、行ふ所、当らず、臣下、又匡諌すること無く、苟くも阿順に在り、事、皆、美を称すれば、則ち君は暗主たり、臣は諛臣たり。君暗く臣諛へば、危亡遠からず。朕、今、志、君臣上下、各々至公を尽くし、共に相切磋し、以て理道を為すに在り。公等各々宜しく務めて*忠とう(ちゅうとう)を尽くし、朕が悪を匡救すべし。遂に直言して意に忤ふを以て、輒ち相責怒せざらん、と。〔▽一五〇頁〕

第四章

貞観五年、太宗、房玄齢等に謂ひて曰く、古より帝王、多くは情に任せて喜怒し、喜べば則ち濫りに功無きを賞し、怒れば則ち濫りに罪無きを殺す。是を以て天下の喪乱、此に由らざるは莫し。朕、今、夙夜未だ嘗て此を以て心と為さずんばあらず。常に公等の情を尽くして極諌せんことを欲す。公等も亦須く人の諌語を受くべし。豈に人の言の己の意に同じからざるを以て、便即ち短を護りて納れざるを得んや。若し人の諌を受くる能はずんば、安んぞ能く人を諌めんや、と。〔▽一五一頁〕

第五章

貞観八年、上、侍臣に謂ひて曰く、朕、閑居静坐する毎に、則ち自ら内に省み、恒に、上、天心に称はず、下、百姓の怨む所と為らんことを恐れ、但だ人の匡諌せんことを思ひ、耳目をして外通し、下の冤滞無からしめんことを欲す。又、比、人の来りて事を奏する者を見るに、多く怖慴する有りて、言語、次第を失ふを致す。尋常の事を奏するすら、情猶ほ此の如し。況んや諌諍せんと欲するは、、必ず当に逆鱗を犯すを畏るるなるべし。所以に諌者有る毎に、縦ひ朕の心に合はざるも、朕亦、以て忤ふと為さず。若し即ち嗔り責めば、深く人の戦懼を懐かんことを恐る。豈に肯て更に言はん、や。〔▽一五二-三頁〕

第六章

貞観十五年、太宗、魏徴に問ひて曰く、比来、朝臣、都て事を論ぜざるは、何ぞや、と。徴対へて曰く、陛下、心を虚しくして採納す。誠に宜しく言者有るべし。然れども古人云ふ、未だ信ぜられずして諌むれば、則ち謂ひて己を謗ると為す。信ぜられて諌めざれば、則ち謂ひて之を尸禄と為す、と。但だ人の才器は各々同じからざる有り。懦弱の人は、忠直を懐けども言ふこと能はず。疎遠の人は、信ぜられざらんことを恐れて言ふことを得ず。禄を懐ふ人は、身に便ならざらんことを慮りて敢て言はず。相与に緘黙し、俛仰して日を過す所以なり、と。〔▽一五四頁〕
太宗曰く、誠に卿の言の如し。朕、毎に之を思ふ。人臣、諌めんと欲すれば、輒ち死亡の禍を懼る。夫の*鼎かく(ていかく)に赴き、白刃を冒すと、亦何ぞ異ならんや。故に忠貞の臣は、誠を竭さんと欲せざる者には非ず。敢て誠を竭す者は、乃ち是れ極めて難し。禹が昌言を拝せし所以は、豈に此が為ならずや。朕、今、懐抱を開いて、諌諍を納る。卿等、怖懼を労して、遂に極言せざること無かれ、と。〔▽一五五頁〕

第七章

貞観十六年、太宗、房玄齢等に謂ひて曰く、自ら知る者は明なり。信に難しと為す。属文の士、伎巧の徒の如きに至つては、皆自ら己が長は、他人は及ばずと謂へり。若し名工・文匠、商略詆訶すれば、蕪詞拙跡、是に於て乃ち見はる。是に由りて之を言へば、人君は須く匡諌の臣を得て、其の愆過を挙ぐべし。一日万機、独り聴断す。復た憂労すと雖も、安んぞ能く善を尽くさん。常に念ふ、魏徴、事に随ひて諌諍し、多く朕の失に中り、明鏡の形を鑒みて、美悪畢く見はるるが如し、と。因りて觴を挙げて玄齢等数人に賜ひ、以て之を勗めしむ。〔▽一五六頁〕

第八章

貞観十七年、太宗、嘗て諌議大夫*ちょ遂良(ちょすいりょう)に問ひて曰く、昔、舜、漆器を造り、禹、其の俎に雕る。当時、舜・禹を諌むるもの十有余人なり、と。食器の間、何ぞ苦諌を須ひん、と。遂良曰く、雕琢は農事を害し、纂組は女工を傷る。奢淫を首創するは、危亡の漸なり。漆器已まざれば、必ず金もて之を為らん。金器已まざれば、必ず玉もて之を為らん。所以に諍臣は、必ず其の漸を諌む。其の満盈に及びては、復た諌むる所無し、と。〔▽一五七-八頁〕
太宗曰く、卿の言、是なり。朕が為す所の事、若し当らざる有り、或は其の漸に在り、或は已に将に終らんとするも、皆宜しく進諌すべし。比、前史を見るに、或は人臣の事を諌むる有れば、遂に答へて云ふ、業已に之を為せり、と。或は道ふ、業已に之を許せり、と。竟に為に停改せず。此れ則ち危亡の禍、手を反して待つ可きなり、と。〔▽一五九頁〕