貞観政要 2000年01月 発行
巻第一 君道第一
第一章
貞観の初、太宗、侍臣に謂ひて曰く、君たるの道は、必ず須く先づ百姓を存すべし。若し百姓を損じて以て其の身に奉ぜば、猶ほ脛を割きて以て腹に啖はすがごとし。腹飽きて身斃る。若し天下を安んぜんとせば、必ず須く先づ其の身を正すべし。未だ身正しくして影曲り、上理まりて下乱るる者は有らず。朕、毎に之を思ふ。其の身を傷る者は、外物に在らず。皆、嗜欲に由りて、以て其の禍を成す。若し滋味に耽り嗜み、声色を玩び悦べば、欲する所已に多く、用ふる所も亦大なり。既に政事を妨げ、又、生人を擾す。且つ復た一の非理の言を出せば、万姓之が為に解体す。*怨とく(えんとく)既に作り、離叛も亦興る。朕、毎に此を思ひ、敢て縦逸せず、と。〔▽二九-三〇頁〕
諌議大夫魏徴対へて曰く、古者、聖哲の主は、皆亦近く諸を身に取る。故に能く遠く諸を物に体す。昔、楚、何を聘し、其の国を理むるの要を問ふ。何対ふるに身を修むるの術を以てす。楚王、又、国を理むること何如と問ふ。何曰く、未だ身理まりて国乱るる者を聞かず、と。陛下の明かにする所は、実に古義に同じ、と。〔▽三〇-一頁〕
第二章
貞観二年、太宗魏徴に問ひて曰く、何をか謂ひて明君・暗君と為す、と。徴対へて曰く、君の明かなる所以の者は、兼聴すればなり。其の暗き所以の者は、偏信すればなり。詩に云く、先人言へる有り、芻蕘に詢ふ、と。昔、尭舜の治は、四門を闢き、四目を明かにし、四聡を達す。是を以て、聖、照らさざるは無し。故に共鯀の徒、塞ぐを得る能はざりしなり。靖言庸回、惑はず能はざりしなり、と。〔▽三二頁〕
秦の二世は、則ち其の身を隠蔵し、疎賎を捐隔して、趙高を偏信し、天下、潰叛するに及ぶまで、聞くを得ざりしなり。梁の武帝は*朱い(しゅい)を偏信して、侯景、兵を挙げて闕に向ふも、竟に知るを得ざりしなり。隋の煬帝は虞世基を偏信して、諸賊、城を攻め邑を剽むるも、亦知るを得ざるなり。故に人君、兼ね聴きて下を納るれば、則ち貴臣、擁蔽するを得ずして、下情、必ず上通するを得るなり、と。太宗甚だ其の言を善しとす。〔▽三三頁〕
第三章
貞観十年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、帝王の業、草創と守文と孰れか難き、と。尚書左僕射房玄齢対へて曰く、天地草昧にして、群雄競ひ起る。攻め破りて乃ち降し、戦ひ勝ちて乃ち剋つ。此に由りて之を言へば、草創を難しと為す、と。魏徴対へて曰く、帝王の起るや、必ず衰乱を承け、彼の昏狡を覆し、百姓、推すを楽しみ、四海、命に帰す。天授け人与ふ、乃ち難しと為さず。然れども既に得たるの後は、志趣驕逸す。百姓は静を欲すれども、徭役休まず。百姓凋残すれども、侈務息まず。国の衰弊は、恒に此に由りて起る。斯を以て言へば、守文は則ち難し、と。〔▽三四-五頁〕
太宗曰く、玄齢は、昔、我に従つて天下を定め、備に艱苦を嘗め、万死を出でて一生に遇へり。草創の難きを見る所以なり。魏徴は、我と与に天下を安んじ、驕逸の端を生ぜば、必ず危亡の地を践まんことを慮る。守文の難きを見る所以なり。今、草創の難きは、既に以に往けり。守文の難きは、当に公等と之を慎まんことを思ふべし、と。〔▽三六頁〕
貞観十一年、特進魏徴上疏して曰く、臣、古より図を受け運に膺り、体を継ぎ文を守り、英傑を控御し、南面して下に臨むを観るに、皆、厚徳を天地に配し、高明を日月に斉しくし、本枝百世、祚を無窮に伝へんと欲す。然れども終を克くする者鮮く、敗亡相継ぐ。其の故は何ぞや。之を求むる所以、其の道を失へばなり。殷鑒遠からず、得て言ふ可し。〔▽三七-八頁〕
昔在、有隋、寰宇を統一し、甲兵彊盛に、三十余年、風、万里に行はれ、威、殊俗を動かす。一旦挙げて之を棄て、尽く他人の有と為れり。彼の煬帝は豈に天下の治安を悪み、社稷の長久を欲せず、故らに桀虐を行ひ、以て滅亡に就かんや。其の富強を恃み、後患を虞らず、天下を駆りて以て欲に従ひ、万物を*つく(つく)して自ら奉じ、域中の子女を採り、遠方の奇異を求め、宮苑を是れ飾り、*臺しゃ(だいしゃ)を是れ崇くし、徭役、時無く、干戈、*おさめ(おさめ)ず、外、厳重を示し、内、険忌多く、讒邪の者は必ず其の福を受け、忠正の者は其の生を保つ莫く、上下相蒙ひ、君臣道隔たる。民、命に堪へず、率土分崩し、遂に四海の尊を以て、匹夫の手に殞し、子孫殄絶し、天下の笑ひと為れり。痛まざる可けんや。〔▽三八-九頁〕
聖哲、機に乗じ、其の危溺を拯ひ、八柱傾きて復た正しく、四維絶えて更に張り、遠きは粛し迩きは安きこと、期月を踰えず、残に勝ち殺を去ること、百年待つ無し。今、宮観*臺しゃ(だいしゃ)尽く之に居る。奇珍異物、尽く之を収む。姫姜淑媛、尽く則に侍す。四海九州、尽く臣妾と為れり。若し、能く彼の亡ふ所以を鑒み、我の得る所以を念はば、日、一日を慎み、休しと雖も休しとする勿く、鹿臺の宝衣を焚き、阿房の広殿を毀ち、危亡を峻宇に懼れ、安処を卑宮に思はば、則ち神化潜通し、無為にして治まらん。徳の上なり。若し成功を毀たず、即ち其の旧に仍り、其の不急を除き、之を損じて又損じ、茅茨を桂棟に雑へ、玉砌を*土かい(どかい)に参へ、悦びて以て人を使ひ、其の力を竭さず、常に、之に居る者は逸し、之を作る者は労するを念はば、億兆悦びて以て子のごとく来り、群生仰ぎて性を遂げん。徳の次なり。若し、惟れ聖も念ふ罔く、厥の終を慎まず、締構の艱難を忘れ、天命の恃む可きを謂ひて、採椽の恭倹を忽せにし、雕牆の靡麗を追ひ、其の基に因りて以て之を広め、其の旧を増して之を飾り、類に触れて長じ、止足を思はずんば、人、徳を見ずして、労役を是れ聞かん。斯を下と為す。〔▽四〇-一頁〕
譬へば薪を負ひて火を救ひ、湯を揚げて沸を止むるが如し。暴を以て乱に易へ、乱と道を同じくす。其れ則る可けんや。後嗣何をか観ん。夫れ事、観る可き無ければ、則ち人怨み神怒る。人怨み神怒れば、則ち災害必ず生ず。災害既に生ずれば、則ち禍乱必ず作る。禍乱既に作りて、而も能く以て身名全き者は鮮し。天に順ひ命を革むるの后、将に七百の祚を隆んにし、厥の孫謀を貽し之を万葉に伝へんとす。得難くして失ひ易し。念はざる可けんや、と。〔▽四三頁〕
是の月、徴又上疏して曰く、臣聞く、木の長ぜんことを求むる者は、必ず其の根本を固くす。流の遠からんことを欲する者は、必ず其の泉源を浚くす。国の安からんことを思ふ者は、必ず其の徳義を積む、と。源深からずして流の遠からんことを望み、根固からずして木の長ぜんことを求め、徳厚からずして国の治まらんことを思ふは、臣、下愚なりと雖も、其の得可からざるを知るなり。而るを況んや明哲に於てをや。人君、神器の重きに当り、域中の大に居り、将に極天の峻を崇くし、永く無疆の休を保たんとし、安きに居りて危きを思ひ、奢を戒むるに倹を以てするを念はず、徳、其の厚きに処らず、情、其の欲に勝へざるは、斯れ亦根を伐りて以て木の茂らんことを求め、源を塞ぎて流の長からんことを欲する者なり。凡百の元首、天の景命を承けて、殷憂して道著れ、功成りて徳衰へざるは莫し。始を善くする有る者は寔に繁く、能く終を克くする者は蓋し寡し。豈に其の之を取ることは易くして、之を守ることは難きならずや。昔、之を取りて余り有り、今、之を守りて足らざるは、何ぞや。〔▽四四-五頁〕
夫れ殷憂に在りては、必ず誠を竭して以て下を待ち、既に志を得れば則ち情を縦にして以て物に傲る。誠を竭せば則ち胡越も一体と為り、物に傲れば則ち骨肉も行路と為る。之を董すに厳刑を以てし、之を振はすに威怒を以てすと雖も、終に苟くも免れて仁に懐かず、貎恭しけれども心服せず。怨は大に在らず、畏る可きは惟れ人なり。舟を載せ舟を覆す、宜しく深く慎むべき所なり。奔車朽索、其れ忽せにす可けんや。人に君たる者、誠に能く欲す可きを見れば、則ち足るを知りて以て自ら戒むるを思ひ、将に作す有らんとすれば、則ち止まるを知りて以て人を安んずるを思ひ、高危を念へば、則ち謙沖にして自ら牧ふを思ひ、満溢を懼るれば、則ち江海の百川に下るを思ひ、盤遊を楽しめば、則ち三駆以て度と為すを思ひ、懈怠を憂ふれば、則ち始を慎みて終を敬するを思ひ、擁蔽を慮れば、則ち心を虚くして以て下を納るるを思ひ、讒邪を懼るれば、則ち身を正しくして以て悪を黜くるを思ひ、恩の加はる所は、則ち喜びに因りて以て賞を謬る無きを思ひ、罰の及ぶ所は、則ち怒に因りて刑を濫にする無きを思ふ。此の十思を総べ、茲の九徳を弘め、能を簡びて之に任じ、善を択び之に従へば、則ち智者は其の謀を尽くし、勇者は其の力を竭くし、仁者は其の恵を播き、信者は其の忠を効し、文武争ひ馳せ、君に在りては事無く、以て豫遊の楽を尽くす可く、以て松喬の寿を養ふ可く、琴を鳴らし垂拱し、言はずして化せん。何ぞ必ずしも神を労し思を苦しめ、下司の職に代り、聡明の耳目を役し、無為の大道を虧かんや、と。〔▽四六-七頁〕
太宗、手詔して答へて曰く、頻りに表を抗ぐるを省するに、誠、忠款を竭し、言、切至を窮む。披覧して倦むを忘れ、毎に宵分に達す。公が国を体する情深く、匪躬の義重きに非ずんば、豈に能く示すに良図を以てし、其の及ばざるを匡さんや。〔▽四九頁〕
朕聞く、晋の武帝、呉を平げしより已後、務め驕奢に在り、復た心を治政に留めず。何曾、朝より退き、其の子劭に謂ひて曰く、吾、主上に見ゆる毎に、経国の遠図を論ぜず、但だ平生の常語を説く。此れ厥の子孫に貽す者に非ざるなり。爾が身は猶ほ以て免る可し、と。諸孫を指さして曰く、此れ等必ず乱に遇ひて死せん、と。孫の綏に及び、果して淫刑の戮する所と為る。前史之を美め、以て先見に明かなりと為す。朕が意は然らず。謂へらく曾の不忠は、其の罪大なり、と。夫れ人臣と為りては、当に進みては誠を竭くさんことを思ひ、退きては過を補はんことを思ひ、其の美を将順し、其の悪を匡救すべし。共に治を為す所以なり。曾、位、台司を極め、名器崇重なり。当に辞を直くして正諌し、道を論じて時を佐くべし。今乃ち退きては後言有り、進みては廷諍する無し。以て明智と為すは、亦謬らずや。顛りて扶けずんば、安んぞ彼の相を用ひん。公の陳ぶる所、朕、過を聞けり。当に之を几案に置き、事、弦韋に等しくすべし。必ず彼の桑楡を収め、之を歳暮に期せんことを望む。康きかな良きかなをして独り往日に盛んに、魚の若しく水の若きをして遂に当今に爽は使めざらん。嘉謀を復さんことを遅つ、犯して隠すこと無かれ。朕将に襟を虚しくし志を静かにして、敬みて徳音を佇たんとす、と。〔▽五〇-一頁〕
※『源平盛衰記』巻四
第五章
貞観十五年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、天下を守ること難きや易きや、と。侍中魏徴対へて曰く、甚だ難し、と。太宗曰く、賢能に任じ諌諍を受くれば則ち可ならん。何ぞ難しと為すと謂はん、と。徴曰く、古よりの帝王を観るに、憂危の間に在るときは、則ち賢に任じ諌を受く。安楽に至るに及びては、必ず寛怠を懐く。安楽を恃みて寛怠を欲すれば、事を言ふ者、惟だ競懼せしむ。日に陵し月に替し、以て危亡に至る。聖人の安きに居りて危きを思ふ所以は、正に此が為なり。安くして而も能く懼る。豈に難しと為さざらんや、と。〔▽五三頁〕