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貞観政要 2000年01月 発行

巻第五 論公平第十六

第一章

太宗、初めて位に即きしとき、中書令房玄齢奏言す。秦府の旧左右の未だ官を得ざる者、竝びに、前宮及び斉府の左右の、処分の己に先だつを怨む、と。太宗曰く、古、至公と称する者は、蓋し平恕にして私無きを謂ふ。丹朱・商均は子なり。而るに尭舜、之を廃せり。管叔・蔡叔は兄弟なり。而るに周公、之を誅せり。故に知る、人に君たる者は、天下を以て心と為し、物に私する無きを。昔、諸葛孔明は小国の相なり。猶ほ曰く、吾が心は秤の如し、人の為めに軽重を作すこと能はず、と。況んや、我、今、大国を理むるをや。〔▽三九六頁〕
朕、卿等と、衣食、百姓より出づ。此れ則ち人力已に上に奉ずるも、上の恩未だ下に被らざるなり。今、賢才を択ぶ所以の者は、蓋し百姓を安んずるを求むるが為なり。人を用ふるには但だ堪ふるや否やを問ふのみ。豈に新故を以て情を異にせんや。凡そ一面すら尚ほ且つ相親しむ、況んや旧人にして頓に忘れんや。才若し堪へずんば、亦豈に旧人を以て先に用ひんや。今、其の能否を論ぜずして、直だ其の怨嗟を言ふは、豈に是れ至公の道ならんや、と。〔▽三九七-八頁〕

第二章

貞観元年、封事を上る者有り。秦府の旧兵、竝びに授くるに武職を以てし、追ひて宿衛に入れんと請ふ。太宗謂ひて曰く、朕、天下を以て家と為す、一物に私する能はず。惟だ才行有るものに是れ任ず。豈に新旧を以て差を為さんや。況んや古人云ふ、兵は猶ほ火の如きなり。*おさ(おさ)めずんば将に自ら焚かんとす、と。汝の此の意、政理を益するに非ず、と。〔▽三九九頁〕

第三章

貞観元年、吏部尚書長孫無忌、嘗て召されて内に入り、佩刀を解かずして、東上の閤門に入る。出でて後、監門校尉始めて覚る。尚書右僕射封徳彝議す。以ふに、監門校尉の覚らざるは、罪、死に当す。無忌の誤りて刀を帯びて入るは、徒二年、罰銅二十斤、と。太宗、之に従ふ。〔▽四〇〇頁〕
大理少卿載冑、駁して曰く、校尉の覚らざると、無忌の帯入と、同じく誤と為すのみ。臣子の尊極に於ける、誤と称するを得ず。律に准ずるに云はく、供御の湯薬・飲食・舟船、誤て法の如くせざる者は皆死す、と。陛下、若し其の功を録せば、憲司の決する所に非ず。若し当に法に拠るべくんば、罰銅は未だ衷を得たりと為さず、と。〔▽四〇〇-一頁〕
太宗曰く、法は、朕一人の法に非ず。乃ち天下の法なり。豈に無忌が国の親戚なるを以て、便ち法を撓めんと欲するを得んや、と。更に議を定むべし。徳彝、議を執ること初の如し。太宗、将に徳彝の議に従はんとす。冑、又、駁奏して曰く、校尉は無忌に縁りて以て罪を致す。法に於て当に軽かるべし。若し其の過誤を論ぜば、則ち情たること一なり。而るに生死頓に殊なれり。敢て以て固く請ふ、と。太宗、乃ち校尉の死を免す。〔▽四〇一-二頁〕
是の時、朝廷盛んに選挙を開く。或は階資を詐偽する者有り。太宗、其れをして自首せしむ。首せずんば、罪、死に至らん、と。俄にして詐偽する者有りて、事洩る。載冑、法に拠り流に断じ以て之を奏す。太宗曰く、朕、勅を下し、首せざる者は死せん、と。今、断ずること流に従ふ。是れ天下に示すに不信を以てするなり、と。冑曰く、陛下、当即に之を殺さば、臣が及ぶ所に非ず。既に所司に付さば、臣、敢て法を虧かず、と。太宗曰く、卿自ら法を守り、而して朕をして信を失はしむるか、と。〔▽四〇二-三頁〕
冑曰く、法は、国家の大信を天下に布く所以なり。言は、当時の喜怒の発する所なるのみ。陛下、一朝の忿を発して、之を殺すを許し、既に不可なるを知りて、之を法に*お(お)く。此れ乃ち小忿を忍びて大信を存するなり。若し忿に順ひて信に違ふは、臣竊に陛下の為に之を惜む、と。太宗曰く、法、失ふ所有れば、卿能く之を正す。朕、何ぞ憂へんや、と。〔▽四〇三-四頁〕

第四章

貞観二年、太宗、房玄齢等に謂ひて曰く、朕、比、隋代の遺老が、盛んに*高けい(こうけい)は善く相たる者と称するを見、遂に其の本伝を観る。公平正直にして、尤も治体を識ると謂ふ可し。隋室の安危は、其の存没に繋る。煬帝無道にして、枉げて誅夷せらる。何ぞ嘗て其の人を想見し、書を拝して欽歎せざらんや。〔▽四〇五頁〕
又、漢魏已来、諸葛亮が相たる有り。亦甚だ平直なり。亮嘗て表して廖立・李厳を南中に廃す。立、亮卒すと聞き、泣きて曰く、吾其れ左衽せん、と。厳、亮卒すと聞き、病を発して死す。故に陳寿称す、亮の政を為すや、誠心を開き、公道を布く。忠を尽くし時に益ある者は、讎と雖も必ず賞し、法を犯し怠慢なる者は、親しと雖も必ず罰す、と。卿ら豈に之に及ばんことを企慕せざる可けんや。朕、今、毎に前代の帝王の善き者を慕ふ。卿等も亦、宰相の賢なる者を慕ふ可し。若し是の如くならば、則ち栄名高位、以て長く守る可し、と。〔▽四〇五-六頁〕
玄齢対へて曰く、臣聞く、国を理むるの要道は、実に公平正直に在り、と。故に尚書に云ふ、偏無く黨無く、王道蕩蕩たり。黨無く偏無く、王道平平たり、と。又、孔子称す、直きを挙げて諸々の枉がれるを措けば則ち人服す、と。今、聖慮の尚ぶ所、誠に以て政教の源を極め、至公の要を尽くし、区宇を嚢括し、天下を化成するに足る、と。太宗曰く、此れ真に朕の懐ふ所なり。豈に卿等と与に之を言ひて行はざる有らんや、と。〔▽四〇六-七頁〕

第五章

長楽公主は、文徳皇后の生む所にして、太宗、尤も鍾愛を加ふ。貞観中、将に出降せんとす。特に所司に勅して、資送、長公主に倍せしむ。魏徴奏言す、昔、漢の明帝、其の子を封ぜんと欲す。帝曰く、朕の子、豈に先帝の子に同じくするを得んや、楚・淮陽王に半ばす可し、と。前史、以て美談と為せり。天子の姉妹を長公主と為し、天子の女を公主と為す。既に長の字を加ふるは、良に公主よりも尊きを以てなり。情、殊なる有りと雖も、礼法は逾越す可からず。若し公主の礼をして、長公主に過ぐること有らしめば、理恐らくは不可ならん。願はくは陛下、之を思はんことを、と。〔▽四〇八頁〕
太宗、善しと称し、乃ち其の言を以て后に告ぐ。后、歎じて曰く、魏徴の奏する所、甚だ是れ公平なり。乃ち能く義を以て主の情を制す。真に社稷の臣なり。妾、陛下と、結髪して夫妻と為り、曲に礼敬を蒙り、情義深重なり。将に言ふこと有らんとする毎に、必ず顔色を候ひ、尚ほ敢て軽々しく威厳を犯さず。況んや臣下に在りては、情疎にして礼隔たる。豈に言ひ難からざらんや、と。因りて請ひて中使を遣はし、帛五百匹を賚し、徴の宅に詣り、以て之に賜はしむ。〔▽四〇九頁〕

第六章

刑部尚書張亮、謀反に坐し、詔獄に下し、百官をして之を議せしむ。多くは、亮は当に誅すべし、と言ふ。惟だ殿中少監李道裕奏す、亮の反形未だ具はらず、明かに其れ罪無し、と。太宗、既に盛怒し、竟に之を殺す。俄にして刑部侍郎、闕くる有り。宰相をして其の人を妙択せしむ。累りに奏すれども可とせず。太宗曰く、朕已に其の人を得たり。往者、李道裕、張亮を議して云ふ、反形未だ具はらず、明かに其れ罪無し、と。公平なりと謂ふ可し。当時、其の言を用ひずと雖も、今に至りて追悔す、と。遂に道裕に刑部侍郎を授く。〔▽四一〇-一頁〕