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貞観政要 2000年01月 発行

巻第四 論尊師伝第十

第一章

太子少師李綱、貞観三年、脚疾有り、践履に堪へず。太宗、特に歩輿を賜ひ、三衛をして挙して東宮に入れしめ、皇太子に詔して引きて殿に上り、親ら之を拝せしむ。太だ崇重せらる。綱、太子の為めに、君臣父子の道、問寝視膳の方を陳ぶ。理順ひ辞直く、聴く者、倦むを忘る。〔▽二七三-四頁〕
太子嘗て古来の君臣の名教、忠を竭くし節を尽くす事を商略す。綱、懍然として曰く、六尺の孤を託し、百里の命を寄すること、古人以て難しと為す。綱は以て易しと為す、と。論を吐き言を発する毎に、皆、辞色慷慨し、奪ふ可からざるの志有り。太子未だ嘗て聳然として礼敬せずんばあらず。〔▽二七四-五頁〕

第二章

貞観六年、詔して曰く、朕、比、経史を尋討するに、明王・聖帝、曷ぞ嘗て師伝無からんや。前に進むる所の令、遂に三師の位を覩ず。意ふに将に未だ可ならざらんとす。何を以て然る。黄帝は太顛に学び、*せんぎょく(せんぎょく)は録図篆に学び、尭は尹寿に学び、舜は務成昭に学び、禹は西王国に学び、湯は成子伯に学び、文王は子期に学び、武王は叔に学ぶ。前代の聖人、未だ此の師に遭はざりせば、則ち功業、天下に著れず、名誉、千載に伝はらざりしならん。〔▽二七五-六頁〕
況んや朕、百王の末に接し、智、聖人に周からざるをや。其れ師伝無くんば、安んぞ以て億兆に臨む可き者ならんや。詩に云はずや、愆らず忘れず、旧章に率由す、と。夫れ学ばざれば、則ち古の道に明かならず。而も能く政、太平を致す者は、未だ之れ有らざるなり。即ち令に著して三師の位を置く可し、と。〔▽二七六頁〕

第三章

貞観八年、太宗、侍臣に謂ひて曰く、上智の人は、自ら染まる所無し。中人は恒無く、教に従ひて変ず。況んや太子の師保は、古より其の選を難んず。成王幼少なりしとき、周召、保伝と為り、左右皆賢に、日に雅訓を聞き、以て仁を長じ徳を益し、便ち聖君と為るに足る。〔▽二七七頁〕
秦の胡亥は、趙高を用ひて伝と作し、教ふるに刑法を以てす。其の位を嗣ぐに及びて、功臣を誅し、親族を殺し、酷暴、已まず。未だ踵を旋らさずして亡ぶ。故に知る、人の善悪は、誠に近習に由るを。朕、今、太子・諸王の為めに、師伝を精選し、其れをして礼度を式瞻し、裨益する所有らしめんとす。公等、正直忠臣なる者を訪ひ、各々三両人を挙ぐ可し、と。〔▽二七八頁〕

第四章

貞観十一年、礼部尚書王珪を以て、魏王の師を兼ねしむ。太宗、尚書左僕射房玄齢に謂ひて曰く、古来、帝子、深宮に生れ、其の人と成るに及びて、驕逸ならざるは無し。是を以て傾覆相踵ぎ、能く自ら済ふこと少し。我、今、厳に子弟を教へ、皆安全なるを得しめんと欲す。王珪は、我久しく駆使し、甚だ剛直にして志忠孝に存するを知り、選びて子の師と為す。卿宜しく泰に語るべし。王珪に対する毎に、我が面を見るが如く、宜しく尊敬を加ふべく、懈怠するを得ざれ、と。珪も亦師道を以て自ら処り、時議、之を善しとす。〔▽二七九頁〕

第五章

貞観十七年、太宗、司徒長孫無忌・司空房玄齢に謂ひて曰く、三師は、徳を以て人を導く者なり。若し師体卑しからば、太子、則を取る所無からん、と。是に於て、詔して、太子の三師に接する儀注を撰せしむ。太子・殿門を出でて迎へ、先づ拝す。三師答拝す。門毎に譲る。三師坐す。太子乃ち坐す。三師に与ふる書は前に名惶恐とし、後に名惶恐再拝とす。〔▽二八〇頁〕

第六章

貞観十八年、天帝初めて立ちて皇太子と為る。尚ほ未だ賢を尊び道を重んぜず。太宗、又、嘗に太子をして、寝殿の側に居り、絶えて東宮に往かざらしむ。散騎常侍*劉き(りゅうき)上書して曰く、臣聞く、四方に郊迎するは、孟侯の徳を成す所以なり。学に歯して三譲し、元良是に由りて貞を作す。斯れ皆、主祀の尊を屈して、下交の義を申ぶ。故に芻言咸く薦め、睿問旁く通ずるを得、軒庭を出でずして、坐ながら天壌を知る。茲の道に率由するは、永く鴻基を固くする者なり。〔▽二八一頁〕
深宮の中に生れ、婦人の手に長じ、未だ曾て其の憂懼を識らず、風俗を暁るに由無きが若きに至りては、神機測られず、天縦生知と雖も、而も物を開き務を成すは、終に外奨に由る。夫の彼の干籥を崇び、茲の謡頌を聴くに匪ずんば、何を以てか庶類を弁章し、彝倫を甄覈せん。聖賢を歴考するに、咸く琢玉に資る。是の故に周儲の上哲なる、望・*せき(せき)を師として裕を加ふ。漢恵の深仁なる、園・綺を引きて徳を昭かにす。原ぬるに夫れ太子は、*宗ちょう(そうちょう)是れ繋る。善悪の際、興亡斯に在り。始に勤めずんば、将に終に悔いんとす。是を以て、錯、上書して、先づ政術に通ぜしめ、賈誼、策を献じて、礼教を前知するを務めしむ。〔▽二八三頁〕
竊に惟みるに、皇太子、玉裕挺生し、金声夙に振ふ。明允篤誠の美、孝友仁義の方、皆、天姿より挺で、審諭を労するに非ず。固に以ふに、華夷、徳を仰ぎ、翔泳、風を希ふ。然れば則ち寝門に膳を視ること、已に三たび朝するに表し、芸宮に道を論ずること、宜しく四術を弘むべし。則ち春秋鼎盛にして、躬を飭むること漸有りと雖も、実に恐らくは歳月の往き易く、業を惰り譏を興さんことを。適を宴安に取ること、方に此より始まる。臣、愚短を以て、幸に侍従に参す。儲明を広めんことを思ひ、輒ち聞徹せんことを願ふ。敢て曲に故事を陳べず、請ふ聖徳を以て之を言はん。〔▽二八五頁〕
伏して惟みるに、陛下、叡哲、図に膺り、登庸歴試し、多才多芸、道、匡時に著れ、允武允文、功、纂祀に成る。万方、叙に即き、九国、清晏なり。尚ほ且つ休なりと雖も休とする勿く、日に一日を慎み、異聞を振古に求め、叡思を当年に労す。乙夜に書を観、事、漢帝よりも高く、馬上に巻を披き、勤、魏君に過ぎたり。陛下、自ら励むこと此の如し。而るに太子をして優游して日を棄て、図書を習はざらしむ。臣が未だ諭らざる所の一なり。加ふるに暫く機務を屏くれば、即ち常に雕虫に寓するを以てす。宝思を天文に紆らせば、則ち長河、映を韜み、玉字を仙札に*の(の)ぶれば、則ち流霞、彩を成す。固に以ふに、万代を錙銖にし、百王に冠絶す。屈宋も以て堂に昇るに足らず、鍾張も何ぞ室に入るに階せん。陛下、自ら好むこと此の如し。而るに太子をして悠然として静処し、篇翰を尋ねざらしむ。臣が未だ諭らざる所の二なり。陛下、衆妙を備該し、独り寰中に秀づ。猶ほ天聡を晦まし、俯して凡識に詢ふ。朝を聴くの隙に、群官を引見し、降すに温願を以てし、訪ふに今古を以てす。故に朝廷の是非、里閭の好悪を得、凡そ巨細有るは、必ず聴覧に関る。陛下、自ら行ふこと此の如し。而るに太子をして久しく入りて趨侍し、正人に接せざらしむ。臣が未だ諭らざる所の三なり。〔▽二八七頁〕
陛下、若し益無しと謂はば、則ち何ぞ神を労する事とせん。若し成る有りと為さば、則ち宜しく貽厥を申ぶべし。蔑ろにして急にせざるは、未だ其の可なるを見ず。伏して願はくは、俯して叡範を推し、訓、儲君に及び、授くるに良書を以てし、之が嘉客を娯ましめ、朝に経史を披きて、成敗を前蹤に観、晩に賓遊に接して、得失を当代に訪ひ、間ふるに書札を以てし、継ぐに篇章を以てせんことを。則ち日々に未だ聞かざる所を聞き、日々に未だ見ざる所を見、副徳逾々光あらん。群生の福なり。〔▽二八九頁〕
竊かに以ふに、*良てい(りょうてい)の選、中国に遍し。仰ぎて聖旨を惟みるに、本、内助を求む。微を防ぎ遠きを慎むの慮、固より群下の議する所に非ざるなり。人物を徴簡するに曁びては、則ち聘納と相違ふ。監撫すること二周なれども、未だ一士をも延かず。愚謂へらく内既に彼が如し、外も亦宜しく然るべし、と。不れば、恐らくは物議を招き、将に陛下は外を軽んじて内を重んずと謂はんとす。〔▽二九〇頁〕
古の太子、安を問ひて退くは、敬を君父に広くする所以なり。宮を異にして処るは、別を嫌疑に分つ所以なり。今、太子、一たび*天い(てんい)に侍し、動もすれば旬朔を移す。師伝已下、接見するに由無し。仮令、供奉、隙有り、暫く東朝に還るとも、拝謁既に疎に、且つ欣仰を事とす。規諌の道、固に未だ暇あらざる所なり。陛下、以て親しく教ふ可からず、*宮さい(きゅうさい)、因つて以て言を進むる無し。具寮有りと雖も、竟に将た何をか補はん。〔▽二九一頁〕
伏して願はくは、俯して前躅に循ひ、稍々下流を抑へ、遠大の規を弘にし,師友の義を展べんことを。則ち離徽克く茂に、帝図斯に広からん。凡そ黎元に在るもの、孰か慶頼せざらん。太子、温良恭倹、聡明叡哲なるは、含霊の悉くす所なり。臣豈に知らざらんや。而も浅識勤勤として、愚忠を効さんことを思ふは、滄溟、潤を益し、日月、華を増さんことを願へばなり、と。太宗乃ち*き(き)をして岑文本・馬周等と与に、逓日に東宮に往来して、皇太子と談論せしむ。〔▽二九二頁〕