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貞観政要 2000年01月 発行

巻第三 論封建第八

第一章

貞観元年、中書令房玄齢を封じて刑国公と為し、兵部尚書杜如晦を蔡国公と為し、吏部尚書長孫無忌を斉国公と為し、竝びに第一等と為し、実封千三百戸なり。皇従父淮安王神通、上言すらく、義旗初めて起るや、臣、兵を率ゐて先づ至れり。今、房玄齢・杜如晦等は、刀筆の人、功、第一に居る。臣、竊に服せず、と。〔▽二二七頁〕
太宗曰く、国家の大事は、惟だ賞と罰とのみ。若し、賞、其の労に当れば、功無き者自ら退く。罰、其の罪に当れば、悪を為す者戒懼す。則ち賞罰は軽々しく行ふ可からざるを知る。今、勲を計りて賞を行ふ。玄齢等は、帷幄に籌謀し、社稷を画定するの功有り。漢の蕭何は、馬に汗すること無しと雖も、蹤を指し轂を推す、故に功第一に居るを得る所以なり。叔父は国に於て至親なり。誠に愛惜する所無し。但だ私に縁りて濫りに勲臣と賞を同じくす可からざるを以てなり、と。是に由りて諸功臣自ら相謂ひて曰く、陛下、至公を以て賞を行ひ、其の親に私せず。吾が属何ぞ妄りに訴ふ可けんや、と。〔▽二二八頁〕
初め高祖、宗正の籍を挙げ、弟姪・再従・三従の孩童已上、王に封ぜらるる者数十人なり。是の日に至りて、太宗、群臣に謂ひて曰く、両漢より已降、惟だ子及び兄弟のみを封ず。其の疏遠なる者は、大功有ること漢の賈・択の如きに非ざれば、竝びに封を受くるを得ず。若し一切、王に封じ、多く力役を給せば、乃ち是れ万姓を労苦せしめて、以て己の親族を養ふなり、と。是に於て、宗室の先に郡王に封ぜられ、其の間に功無き者は、皆降して郡公と為す。〔▽二二九-三〇頁〕

第二章

貞観十一年、太宗以へらく、周は子弟を封じて、八百余年、秦は諸侯を罷めて、二世にして滅ぶ。呂后、劉氏を危くせんと欲するも、終に宗室に頼りて安きを獲たり。親賢を封建するは、当に是れ子孫長久の道なるべし、と。乃ち制を定め、子弟、荊州の都督荊王元景・安州の都督呉王恪等二十一人を以て、又、功臣、司空趙州の刺史長孫無忌・尚書左僕射宋州の刺史房玄齢等一十四人を以て、竝びに世襲刺史と為す。〔▽二三一頁〕
礼部侍郎李百薬、奏論して以て世封の事を駁して曰く、臣聞く、国を経し民を庇ふは、王者の常制、主を尊び上を安んずるは、人情の大方なり。治定の規を闡きて、以て長世の業を弘めんとする者は、万古、易はらず、百慮、帰を同じくす。然れども命暦に促の殊なる有り、邦家に治乱の異なる有り。遐く載籍を観るに、之を論ずること詳かなり。〔▽二三二頁〕
咸云ふ、周は其の数に過ぎ、秦は期に及ばず。存亡の理は、郡国にあり。周氏は以て夏殷の長久に鑒み、唐虞の竝び建つるに遵ひ、維城盤石、根を深くし本を固くし、王綱弛廃すと雖も、而も枝幹相持す。故に逆節をして生ぜず。宗祀をして絶えざらしむ。秦氏は古を師とするの訓に背き、先王の道を棄て、華を剪り険を恃み侯を罷め守を置き、子弟、尺土の邑無く、兆庶、治を共にするの憂罕なり。故に一夫号呼して、七廟*き(きひ)す、と。〔▽二三三頁〕
臣以為へらく、古より皇王、宇内に君臨するは、命を上玄に受け、名を*帝ろく(ていろく)に飛ばし、締構、興王の運に遇ひ、殷憂、啓聖の期に属せざるは莫し。魏武の攜養の資、漢高の徒役の賎と雖も、止だ意に覬覦あるのみに非ず、之を推すも亦去る能はざるなり。若し其れ獄訟、帰せず、菁華已に竭くれば、帝尭の四表に光被し、大舜の上七政を斉ふと雖も、止だ情に揖譲を存するのみに非ず、之を守るも亦固くす可からざるなり。放勲・重華の徳を以てすら、尚ほ克く厥の後を昌にする能はず。是に知る、祚の長短は、必ず天時に在り、政或は盛衰するは、人事に関る有るを。〔▽二三四頁〕
隆周、世を卜すること三十、年を卜すること七百。淪胥の道斯に極まると雖も、文武の器猶ほ存す。斯れ則ち亀鼎の祚、已に懸に杳冥に定まるなり。南征して反らず、東遷して逼を避け、*いん祀(いんし)、綫の如く、郊畿守らざらしむるに至りては、此れ乃ち陵夷の漸、封建に累はさるる有り。暴秦、運、閏余に距り、数、百六に鍾る。受命の主、徳、禹湯に異なり、継世の君、才、啓誦に非ず。借ひ李斯・王綰の輩をして、咸く四履を開き、将閭・子嬰の徒をして、倶に千乗を啓かしむとも、豈に能く帝子の勃興に逆ひ、龍顔の基命に抗する者ならんや。〔▽二三六頁〕
然れば則ち得失成敗、各々由る有り。而るに著述の家、多く常轍を守り、情、今古を忘れ、理、澆淳に蔽はれざるは莫く、百王の李を以て、三代の法を行ひ、天下五服の内、尽く諸侯を封じ、王畿千里の間、倶に菜地と為さんと欲す。是れ則ち結縄の化を以て、虞夏の朝に行ひ、象刑の典を用つて劉曹の末を治むるなり。紀綱の弛紊すること、断じて知る可し。船に*きざ(きざ)みて剣を求む、未だ其の可なるを見ず。柱に膠して文を成す。弥々惑ふ所多し。徒らに、鼎を問ひ隧を請ひ、勤王の師を懼るる有り、白馬素車、復た藩籬の援無きを知り、望夷の釁、未だ*げいさく(げいさく)の災よりも甚だしからざるを悟らず。高貴の殃、寧ぞ申繪の酷に異ならんや。此れ乃ち欽明昏乱、自ら安危を革むるなり。固に守宰公侯の、以て興廃を成すに非ず。且つ数世の後、王室*ようや(ようや)く微なること、藩屏より始まり、化して仇敵と為り、家、俗を殊にし、国、政を異にし、強、弱を陵ぎ、衆、寡を暴し、*疆えき(きょうえき)彼此、干戈侵伐し、狐駘の役、女子尽く*ざ(ざ)し、*こう陵(こうりょう)の師、隻輪、反らず。斯れ蓋し略ぼ一隅を挙ぐ。其の余は勝げて数ふべからず。〔▽二三七-八頁〕
陸士衡、方に規規然として云ふ、嗣王、其の九鼎を委て、凶族、其の天邑に拠る。天下晏然として、治を以て乱を待つ、と。何ぞ斯の言の謬まれるや。而して官を設け職を分ち、賢に任じ能を使ひ、循良の才を以て、共治の寄に膺る。刺挙、竹を分つ、何の世にか人無からん。地をして或は祥を呈し、天をして宝を愛まず、民をして父母を称し、政をして神明に比せしむるに至る。〔▽二四一頁〕
曹元首、方に区区然として称す、人と其の楽を共にする者は、人必ず其の憂を分ち、人と其の安きを同じくする者は、人必ず其の危きを拯ふ、と。豈に以て侯伯とせば、則ち其の安危を同じくし、之を牧宰に任ずれば、則ち其の憂楽を殊にす容けんや。何ぞ斯の言の妄なるや。封君列国、慶を門資に藉りて、其の先業の艱難を忘れ、其の自然の崇貴を軽んじ、世々淫虐を増し、代々驕侈を益さざるは莫く、離宮別館、漢に切し雲を凌ぎ、或は、人力を刑して将に尽きんとし、或は諸侯を召して共に楽す。陳霊は則ち君臣、霊に悖り、共に徴舒を侮り、衛宣は則ち父子、*ゆう(ゆう)を聚にし、終に寿・朔を誅す。乃ち云ふ、己が為めに治を思ふ、と。豈に是の若くならんや。〔▽二四二-三頁〕
内下の群官、選ぶこと朝廷よりし、士庶を擢でて以て之に任じ、水鏡を澄まして以て之を鑒し、年労、其の階品を優にし、考績、其の黜陟を明かにす。進取、事切に、砥砺、情深く、或は俸禄、私門に入らず、妻子、官舎に之かず、班條の貴き、食、火を挙げず、割符の重き、衣、惟だ補葛、南陽の太守、弊布、身を裹み、莱蕪の県長、凝塵、甑に生ず。専ら云ふ、利の為めに物を図る、と。何ぞ其れ爽へるや。〔▽二四四-五頁〕
総べて之を云ふに、爵は世及に非ざれば、賢を用ふるの路斯れ広し。民に定主無ければ、下を附くるの情、固からず。此れ乃ち愚智の弁ずる所なり。安んぞ惑ふ可けんや。国を滅ぼし君を殺し、常を乱り紀を干すが如きに至りては、春秋二百年の間、略ぼ寧才無し。次*すい(すい)咸秩し、遂に玉帛の君を用ふ。魯道、蕩たる有り、毎に衣裳の会に等し。縦使西官の哀平の際、東洛の桓霊の時、下吏の淫暴なるも、必ず此に至らず。政を為すの理、一言を以て焉を蔽ふ可し。〔▽二四六頁〕
伏して惟みるに、陛下、紀を握り天を御し、期に膺り聖を啓き、億兆の焚溺を救ひ、*氛しん(ふんしん)寰区より掃ひ、業を創め統を垂れ、二儀に配して以て徳を立て、号を発し令を施し、万物に妙にして言を為す。独り神衷に照らし、永く前古を懐ひ、将に五等を復して旧制を修め、万国を建てて以て諸侯を親しまんとす。〔▽二四七頁〕
竊かに以ふに、漢魏より以還、余風の弊未だ尽きず、勲華既に往き、至公の道斯に革まる。況んや晋氏、馭を失ひ、宇県崩離す。後魏、時に乖き、華夷雑処す。重ぬるに関河分阻し、呉楚県隔するを以てす。文を習ふ者は長短縦横の術を学び、武を習ふ者は干戈戦争の心を尽くす。畢く狙詐の階と為し、弥々澆浮の俗を長ず。開皇の運に在るや、外家に因藉し、群英を臨御し、雄猜の数に任じ、坐ながら時運を移し、克定の功に非ず。年、二紀を踰ゆるも、人、徳を見ず。大業の文に嗣ぐに及びて、世道交々喪ひ、一人一物、地を掃ひて将に尽きんとす。天縦の神武、冦虐を削平すと雖も、兵威、息まず、労止未だ康からず。陛下、慎んで聖慈に順ひ、嗣ぎて宝暦に膺りてより、情深く治を致さんとし、前王を綜覈す。至道は名づくる無く、言象の絶ゆる所なりと雖も、略ぼ梗概を陳ぶるは、実に庶幾ふ所なり。〔▽二四八頁〕
愛敬蒸蒸として、労して倦まざるは、大舜の孝なり。安を内豎に訪ひ、親ら御膳を嘗むるは文王の徳なり。憲司が罪を*げつ(げつ)し、尚書が獄を奏する毎に、大小必ず察し、枉直咸く挙げ、断趾の法を以て、大辟の刑に易へ、仁心陰惻、幽顕に貫徹するは、大禹の辜に泣けるなり。色を正し言を直くし、心を虚しくして受納し、鄙訥を簡せにせず、芻蕘を棄つる無きは、帝尭の諌を求むるなり。弘く名教を奨め、学徒を観励し、既に明経を青紫に擢で、正に碩儒を卿相に升せんとするは、聖人の善く誘ふなり。〔▽二四九-五〇頁〕
群臣、宮中暑湿にして、寝膳或は乖くを以て、徙りて高明に御し、一小閣を営まんことを請ふ。遂に家人の産を惜み、竟に子来の願を抑へ、陰陽の感ずる所を吝まず、以て卑陋の居に安んず。頃歳霜倹、普天饑饉、喪乱甫めて爾り、倉廩空虚なり。聖情矜愍し、勤めて賑恤を加へ、竟に一人の道路に流離するもの無し。猶ほ且つ食は惟れ*藜かく(れいかく)楽は*しゅんきょ(しゅんきょ)を徹し、言は必ず悽動し、貎は*く痩(くそう)を成す。〔▽二五一頁〕
公旦は重訳を喜び、文命は其の即叙を矜る。陛下、四夷款附し、万里仁に帰するを見る毎に、必ず退きて思ひ、進みて省み、神を凝らし慮を動かし、妄りに中国を労して、以て遠方を求めんことを恐れ、万古の英声を藉らずして、以て一時の茂実を存し、心、憂労に切に、跡、遊幸を絶つ。毎旦、朝を視、聴受、倦むこと無く、智は万物に周く、道は天下を済ふ。朝を罷むるの後、名臣を引き進めて、是非を討論し、備に肝膈を尽くし、惟だ政事に及びて更に異辞無し。纔に日昃くに及べば、必ず才学の師に命じて、賜ふに静閑を以てし、高く典籍を談じ、雑ふるに文詠を以てし、間ふるに玄言を以てす。乙夜、疲るるを忘れ、中宵まで寐ねず。此の四道は、独り往初に邁ぐ。斯れ実に生民より以来、一人のみ。〔▽二五二頁〕
茲の風化を弘め、昭かに四方に示す。信に朞月の間を以て、天壌を弥綸す可し。而るに淳粋尚ほ阻たり、浮詭未だ移らず。此れ習の永久に由り、以て卒に変じ難きなり。請ふ、琢雕を朴と成し、質を以て文に代へ、刑措くの教一たび行はれ、登封の礼云に畢るを待ちて、然る後、疆理の制を定め、山河の賞を議せんこと、未だ晩しと為さず。易に称す、天地の盈虚は、時と消息す、況んや人に於てをや、と。美なるかな斯の言や、と。〔▽二五四頁〕
中書人馬周、又上疏して曰く、伏して詔書を見るに宗室勲賢をして、藩部に鎮と作り、厥の子孫に貽し、嗣ぎて其の政を守らしめ、大故有るに非ずんば、黜免すること或る無からん、と。臣竊かに惟みるに、陛下、之を封植するは、誠に之を愛し之を重んじ、其の胤裔承守し、国と与に疆無からんことを欲するなり。臣以為へらく、詔旨の如くならば、陛下宜しく之を安存し、之を富貴にする所以を思ふべし。然らば則ち何ぞ世官を用ひんや。〔▽二五五頁〕
何となれば則ち尭舜の父を以て、猶ほ朱均の子有り。況んや此より下る以還にして、而も父を以て兒を取らんと欲せば、恐らくは之を失ふこと遠からん。儻し孩童の職を嗣ぐ有りて、万一驕恣なれば、則ち兆庶、其の殃を被りて、国家、其の敗を受けん。政に之を絶たんと欲するや、則ち子文の治猶ほ在り。政に之を留めんと欲するや、而ち欒黶の悪已に彰はる。其の見存の百姓を毒害せんよりは、則ち寧ろ恩を已亡の一臣に割かしめんこと明かなり。〔▽二五六頁〕
然らば則ち向の所謂之を愛するは、乃ち適に之を傷ふ所以なり。臣謂ふに宜しく賦するに茅土を以てし、其の戸邑を疇しくし、必ず材行有りて、器に随ひて方に授くべし。則ち其の*翰かく(かんかく)強きに有らずと雖も、亦、以て尤累を免るるを獲可し。昔、漢の光武、功臣に任ずるに吏事を以てせず。其の世を終全する所以は、良に其の術を得たるに由るなり。願はくは陛下、深く其の宜を思ひ、夫をして大恩を奉ずるを得て、子孫をして其の福禄を終へしめんことを、と。太宗竝びに其の言を嘉納す。是に於て、竟に子弟及び功臣の刺史を世襲するを罷む。〔▽二五七頁〕